春隣

『日本蒙昧前史』  磯崎憲一郎

 先週今週と、心に引っかかっていた内視鏡検査が終わった。概ね問題はなかったが一部生検があり、詳しい結果を聞くのは今月中旬となる。案じていた胃カメラは鎮静剤の使用を選択したため眠っている間に全て終了、全く苦痛はなかった。むしろ検査当日よりそれまでの食事制限や飲酒制限(さほど酒飲みではないが、毎夕食の少々のワイン習慣)にうんざりした。苛ついている当方からのとばっちりに戦々恐々としていた(?)連れ合いも、まあ、終わってよかったとホッとした様子。

 さて、上記の本である。1970年(S45)から1985年(S60)までの蒙昧前史である。前史というのは恐らくバブル時代(1985年から)を考えてのことに違いない。いくつかの出来事が取り上げられいるが、必ずしも時系列的ではない。1984年のグリコ森永事件から始まって、1970年の大阪万博1972年の横井庄一さんの帰還で話は終わる。

 大きく取り上げられているのは、「日本で初めての五つ子のお父さん」、「日本万博博覧会での目玉男」、「グアム島からの帰還兵横井庄一さん」である。フィクションであると断られてはいるものの、モデルが明らかである人物の心情を、当事者になって見てきたように語るのは人権的に問題はないのだろうか。

 そうはいいながら、当時の話題の人たちだからゴシップ記事を読むような面白さはある。チコちゃんではないが、噂話は蜜の味がするのだ。

 この本によれば、大成功におわったという1970年の万博も、すったもんだの出発だったらしい。会長人事は難航、会場誘致も決まらず、なにひとつはかばかしく進まなかったのに、蓋を開ければ大盛況。9月13日までに6421万人が来場したという。これに合わせて万博への送電として敦賀原発の運転も始まったというのだが、蒙昧なるわれわれは「人類の進歩と調和」を信じて疑わず、こぞって千里の丘を訪れたのだ。

 遅々として進まぬ2025年の大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」だそうだが、前回から半世紀「人類の進歩と調和」が無残に地に落ちた今、なんと虚しいスローガンであろうか。蒙昧なる国はさらに蒙昧な歴史を重ねようというのだろうか。

「渦中にある時は何が起こっているか知らず、過ぎ去った後になって初めてその出来事の意味を知るならば、未来でなく過去のどこか一点は・・・はかなく短い歴史のかりそめの頂点だったかもしれない。」

 高度成長を経てバブル時代に突入するまでのこの時代、子育て最中で働き盛り、蒙昧な身にとってもかりそめの頂点だったかもしれないと思うばかりだ。

 

 

 

       探査機に陽はふりそそぎ春隣