春惜む

講演『坊の塚古墳以降における地域首長の動向』を聴く

                   西村勝広講師

 興味深い演題だったので、久しぶりに講演会に出かける。本来は連れ合いも一緒の予定だったが、突然教え子と会うことになったというので、ひとりでの参加となった。以下、市の文化財課の西村先生の話である。

 

 「坊の塚古墳」というのは市内最大の前方後円墳(県内でも2位)で、4C末から5C前半に築かれた古墳である。各務原台地の突端にある。崖の突端を選んだのは平地を見下ろし、近くを流れる木曽川水路交通網に存在を誇示するためではなかったか。

 「坊の塚古墳」以降もその地には、特別の古墳が造られるが、それも同じ理由だ。

 そして、東山道が造られるにしたがい、今度は東山道沿いに規模の大きい特別な古墳が築かれるようになった。これも前者と同様に街道をゆく人々への存在の誇示ではなかったか。

 以前の講演でも触れられたが、江戸時代に暴かれた後者の古墳からは、大量の馬具やら宝飾品、太刀などが出土、おそらく渡来系の人々の墓と推測される。

 

 講演の後、質問の時間が設けられたので、気になっていることを質問しようかと躊躇した。結局大勢の前で質問する勇気は出ず、終会後、ロビーで質問。(ロビーで質問もどうぞと言われたので)気になっていた点がはっきりした。

 それは、文献などにも出てくる村国氏や各務氏を、墓の被葬者として推定してもよいかということだ。墓誌などがない以上、もちろん推測でしかないのだが、先生の考えをお聞きしたかった。これに対して、「(渡来系の墓は)各務氏の関係だろうと思う。村国氏は尾張側ではないかと思う」ということで、ひとつの見解を示してくださった。

(会場に飾られていた 市の一輪山古墳出土の「三角縁神獣鏡」のレプリカ。)

 

 疑問も解かれ、はればれと出口向かっていたら、突然同年輩らしき女性から声をかけらる。

「すてきな服ね。手作り?」とのこと。意外や意外、そんなことを褒められるとは思ってもいなかった。もちろん手作りのチュニックベストである。お礼を言って、すっかり気をよくした私、足取りも軽く次の目的地(図書館)に向かったことだ。

 

 講演会場で販売されていて、購入した本。読みやすい内容でカラー写真の資料も多い。市の教育委員会の出版のせいか、価格は1500円とびっくりするほど安い。早速開いて「東山道」の位置がどこかここかと家族で喧しい。

 

 

        公園に一人も群れも春惜む