小六月

講演『美濃の終末期古墳と群集墓を考える』 中村正幸講師

 いつもの市の埋蔵文化財センター主催の講演会である。今回も古墳についてとあって、トシヨリ二人はネット予約をして、出かける。

 「古墳とは何か」という定義から始まって、「横穴式石室」、「群集墳」の説明。ついで市内の「群集墳や横穴式石室古墳」の話であった。終末期古墳というので今回話の対象になったのは6C半ばから7C半ばまでぐらい、中央でいえば飛鳥時代、推古帝から聖徳太子の時代だ。

 岐阜県(美濃地方)は中央との結びつきが深く、東に伸びる大道(後の東山道)なども通り、墓造りも中央の傾向がすぐに反映されていったらしい。

 つまり、墳墓は前方後円墳から円墳を経て方墳へと推移し、横穴式石室も川原石積みから巨石を用いた大型のものへと変化していった。

 また村落の首長墓らしき大型の墳墓を取り囲むように、多くの小規模な墓が築かれている(群集墳)のも特徴で、中には百基近いかたまりもある。

 古墳は「見せる政治的墳墓」で、交通機関の河や大道を意識して築かれたのではないか、とは講師の推論。

 

 うまく纏められなかったが、そんな話ではなかっただろうか。

この回対象になった鵜沼地区の首長墓は五基あり、一基一代と考えると100年ほどに渡る。鵜沼地区は672年の壬申の乱で活躍した村国氏の本拠地であり、そんなことも考えれば、さらに興味は尽きない。

 

市民公園の駐車場に停めて出かけたのだが、いつもと違って他府県ナンバーの車が多いのに驚いた。随分遠隔地のもあると思ったら、どうやら「岐阜基地航空祭」らしい。前日から遥々キャンピングカーで来訪されている方もある。

 

 

 

       戦闘機ショーである幸小六月

 

 

 先程よりブルーインパルスの曲芸飛行。今日はあいにくの曇空であまり綺麗には見えないが、うちの庭からでも編隊飛行が楽しめた。さて、こんなものが俳句といえるかどうかは怪しいが・・・