本が読めないときの 『続窓ぎわのトットちゃん』 黒柳徹子

 豪雨の一夜が明けた。いつ以来か、リビングの暖房はエアコンだけ、ファンヒーターは点けなかった。今日は暖かさを通り越して暑そう。花粉の飛来も多いようだ。この所ずっと鼻炎がひどく、春の嬉しさの反面、辛い花粉症と、複雑な気分だ。

 ちっとも本に集中できないので、編み物に精を出したら、仕上げ段階で失敗。少し解く羽目になってこれもやる気をなくした。

 こういう時には、この本を。ベストセラーで予約者が多かったが、順番が巡ってきた。Tが「読書のリハビリかあ」って言ったけど、そうなんだ。読みやすくて考えなくていい。徹子さん、リハビリにしてごめんなさい。

さて、この本、徹子さんの天性の明るさやユニークさが伝わる本。戦争を含めて辛い体験や身に危険の及ぶこともあったのに、運も味方したような半世紀だ。ご本人も長所は素直で楽天的なことと親切なことだと書いておられるが、確かにそれが功を奏している。一時は嘆きの元になった個性的な喋り方さえも売りになったのだから。それにしてもお母様がすごい。あの動乱期を才覚で乗り切り、お父様の帰国前に赤い屋根と白い壁の洋館を建ててしまわれたというのだ。お母様の才覚とお父様の芸術性が、個性的な女優を産んだのかもしれない。

 この本には、戦争中の苦労がたくさん書かれている。「あとがき」で自身の戦争体験を書き残しておきたいとあったが、徹子さんにも厳しい戦争体験があったのだと、それがよくわかった。

 

 隣のモチの大木で子育て中のモズ君。おチビが終日チイチイと鳴いて餌をねだっている。体は小さいが、もう十分飛べるのに甘えん坊である。男の子で、お父さんモズがせっせと餌を与えている。

 そうそう燕ももうやってきたし、雲雀も鳴いている。春本番だなあ。

やっとわがやの桜と桃も開花。

 

 

            幼子の蝶よ蝶よと兄を呼び