尾張(犬山周辺)の古墳巡り

 この二三日のぐずついた天気がスッキリと晴れ、陽気もほどよいことから気になっていた古墳を見に行こうということになる。

 東之宮古墳

  東之宮古墳木曽川を挟んで当市の対岸、犬山の白山平山頂に築かれた古墳である。ここが特筆すべき古墳だというのは、東日本でも最も古い時期(3C末から4C初め)の古墳というだけでなく、形態が前方後方墳だということだ。同じ頃の箸墓古墳卑弥呼の墓ではないかと見る学者の中には、卑弥呼と対峙していた狗奴国の王の墓ではないかという人もいるが、それはともかく、竪穴式石槨からは鑑が11面、石製合子、翡翠製曲玉など素晴らしい副葬品が発掘された。それらの副葬品はすべて京都国立博物館に展示されていることは、去年の京博の見学で触れたことである。

 山懐の成田山まで車で登り、後は歩きである。白山平山全体が「チャート」の岩盤で出来ており、古墳に向かう道すがらに見事な露頭を見ることができる。

 

山頂には「東之宮神社」。おそらく太古以来墳墓として神聖視されてきたせいであろう。

 古墳を一周して墳丘に上がると、木曽川が一望できる。対岸の当市の坊の塚古墳同様、木曽川の水運を意識した権力の誇示であろう。パンフレットによると、冬至の日の出の方角が、石槨、石棺の主軸線と一致するという。冬至の日は蘇る日でもあるということだろうか。

 

前方から後方を見る

墳丘からの眺望

 

妙感寺古墳

 東之宮古墳から500メートルくらい離れたところにある大型の前方後円墳である。今は妙感寺というお寺になっており、墳丘にはお稲荷さんが祀られている。全長は95メートルで、5C前半の築造。やはり昔は木曽川河岸段丘の突端に築かれたようだが、今は住宅に埋もれ、電車の線路に切り取られている。興味がこうじて東之宮古墳からよたよたと歩いて行ったのだが、「好きすぎ」と散々に言われた。

前方から後円を見る

 

青塚古墳

 犬山城周辺で昼をとった後、連れ合いが「東之宮古墳の出土品」のレプリカがあるはずだと言う。本物を見てきたのだからレプリカなどはいいではないかとも思ったのだが、こだわって観光案内所まで聞きに行くと、いろいろ調べてくださった結果「青塚古墳ガイダンス施設」にあることがわかった。

 青塚古墳は南へ車で20分。木曽川でつくられた犬山扇状地の突端にある古墳で、愛知県では2番目の規模(123メートル)で4C中頃の築造である。因みに春に出かけた白鳥塚古墳は3番めで115メートル。ここは公園として綺麗に整備されて形状がはっきりわかる。

前方二段、後円三段築成

東之宮古墳出土鏡のレプリカ

 

 たまたまこのように古墳を巡ってみると、この地に力を持ったであろう「邇波(にわ)の王」のおぼろげなる姿が見えてくるようではないか。3C末の東之宮古墳から始まり、青塚古墳、坊の塚古墳そして5C前半の妙感寺古墳まで、大規模な古墳築造で権力を誇示した姿である。

鳥のつまみを持った高坏

 

 

 

      せかせかと花から花へ蝶の昼

 

 

 それにしても今日はいい天気で古墳巡りには最適だった。 

おまけの猫ちゃん。飼い猫らしくにゃあにゃあと寄ってきた

おまけの国宝犬山城。観光客がたくさん。

山路のツツジ

  

 

行く春

義兄夫妻と義弟夫妻の訪問

 連れ合いの兄弟夫妻の突然の訪問である。長兄は連れ合いより五歳年上、弟は五歳下だ。七人という大人数の兄弟で、少し離れていることもあり、日頃のお付き合いは水のように薄い。義父母が亡くなってからは、お互いに元気なこともあり、ほとんど交流がなかった。それが突然訪問されるという電話で、最初は良からぬことでもと、驚いたが、幸い用件は良からぬことではなかった。

 最初は兄弟だけでの訪問という話だったが、久しぶりだからとお連れ合いもご一緒されることになった。 連れ合いはともかく、当方は長兄夫妻とは二十年ぶり、義弟夫妻とはもっとお会いしていない。「まあまあ、お懐かしい。お元気で何より」という挨拶から始まって、一時間半ほど。用事を済まし、その場にいない兄妹の消息を話し、三夫婦の集合写真を撮影してお帰りになった。皆、歳相応に老けたというもののまだまだ元気で、ありがたい

 

 ここ三十年ほどお世話になってきた主治医さんから、「来月いっぱいで閉院する」とのご案内を頂いた。彼は連れ合いと当方の大学のサークルの後輩で、近くでもあり、ずっとお世話になってきたし、これからもなるつもりでいた。ベンツに乗り肩を怒らすというようなこととは無縁な内科医だったように思う。それが突然の閉院である。体調の問題らしいが、お互いの歳を思い知らされたようで、寂しい。今月末には最後の診察を受けて、お礼を述べてこようと思う。

 

         閉院の挨拶状や春の行く

 

 

 

春惜む

講演『坊の塚古墳以降における地域首長の動向』を聴く

                   西村勝広講師

 興味深い演題だったので、久しぶりに講演会に出かける。本来は連れ合いも一緒の予定だったが、突然教え子と会うことになったというので、ひとりでの参加となった。以下、市の文化財課の西村先生の話である。

 

 「坊の塚古墳」というのは市内最大の前方後円墳(県内でも2位)で、4C末から5C前半に築かれた古墳である。各務原台地の突端にある。崖の突端を選んだのは平地を見下ろし、近くを流れる木曽川水路交通網に存在を誇示するためではなかったか。

 「坊の塚古墳」以降もその地には、特別の古墳が造られるが、それも同じ理由だ。

 そして、東山道が造られるにしたがい、今度は東山道沿いに規模の大きい特別な古墳が築かれるようになった。これも前者と同様に街道をゆく人々への存在の誇示ではなかったか。

 以前の講演でも触れられたが、江戸時代に暴かれた後者の古墳からは、大量の馬具やら宝飾品、太刀などが出土、おそらく渡来系の人々の墓と推測される。

 

 講演の後、質問の時間が設けられたので、気になっていることを質問しようかと躊躇した。結局大勢の前で質問する勇気は出ず、終会後、ロビーで質問。(ロビーで質問もどうぞと言われたので)気になっていた点がはっきりした。

 それは、文献などにも出てくる村国氏や各務氏を、墓の被葬者として推定してもよいかということだ。墓誌などがない以上、もちろん推測でしかないのだが、先生の考えをお聞きしたかった。これに対して、「(渡来系の墓は)各務氏の関係だろうと思う。村国氏は尾張側ではないかと思う」ということで、ひとつの見解を示してくださった。

(会場に飾られていた 市の一輪山古墳出土の「三角縁神獣鏡」のレプリカ。)

 

 疑問も解かれ、はればれと出口向かっていたら、突然同年輩らしき女性から声をかけらる。

「すてきな服ね。手作り?」とのこと。意外や意外、そんなことを褒められるとは思ってもいなかった。もちろん手作りのチュニックベストである。お礼を言って、すっかり気をよくした私、足取りも軽く次の目的地(図書館)に向かったことだ。

 

 講演会場で販売されていて、購入した本。読みやすい内容でカラー写真の資料も多い。市の教育委員会の出版のせいか、価格は1500円とびっくりするほど安い。早速開いて「東山道」の位置がどこかここかと家族で喧しい。

 

 

        公園に一人も群れも春惜む

牡丹

世界史が面白い

 NHKの四月からの新番組「3か月でマスターする世界史」が面白い。毎週水曜日の夜の放送で、すでに三回分が終了した。アジアから世界史を眺めるというコンセプトだ。高校時代、世界史を習ったが、所詮受験勉強にしかすぎなかった。

 第1回目は「古代文明のはじまり」。主にメソポタミア文明を取り上げ、交易の要となった遊牧民の存在がいかに大きかったかを説いた。

 第2回目は「ローマ帝国」。広大なローマ帝国を支えたのは、やはりシルクロードによる交易。(海のシルクロードもあった)関税で得られた富が常備軍を養い、領土を拡大させ、ゆるやかな統治で栄華を誇った。

が、その大帝国も東西に分裂、ゲルマン民族の南下で西ローマ帝国は滅亡した。

 第3回は「世界宗教誕生の条件」。オリエントの厳しい自然環境での統治の条件として宗教が発生する。まず、アケメネス朝ペルシャでのゾロアスター教である。この宗教は一神教(アフラ・マツダ)であり、「倫理」を説いた。こうした骨格がユダヤ教を生み、キリスト教へと広がっていく。ローマ帝国の分裂後、キリスト教ローマ・カトリック教会正教会の分裂となる。

 大雑把な見方かも知れぬが、概観としてはわかりやすい。次回は「イスラム 拡大の秘密」とあるので、時節柄も含め楽しみだ。テキストもあるようだが、あえて買わずにノートを録りながら視聴している。(今はNHK+で何度でも見られる)

 

 さて、一方で最近手にしている本は、司馬さんの『街道をゆく 南蛮のみち1』である。本に集中出来ない時、司馬さんの『街道をゆく』シリーズはいつも助けになる。幸い南蛮編は、まだ未読だ。

 ロヨラに説得されて、もともと哲学志望だったザビエルが、瞑想の果てに回心する件がある。回心とは我が身の罪深さを認め、神に帰依する宗教的体験をいうらしい。瞑想の果ての宗教体験というと、仏教にもあるような気がしてTにそのことを言ったら、即座に否定された。瞑想して神の実存を感じるのと、瞑想して全ての執着を切り捨てるのと、まったく違うらしい。

 司馬さんはザビエルを追ってパリのカルチェラタンからバスク地方に移動する。バスク地方とは、またまた異質なところで、興味が尽きない。バスク語は日本語に似てるというから不思議だ。

 今年の牡丹は、まだ蕾も含めれば、13花も咲きそうだ。咲かせすぎかもしれぬ。

 

 

     ぼうたんのほどけるごとく散りにけり

 

 

ピンク系の競演

蛇穴を出づ

『ロニョン刑事とネズミ』 ジュルジュ・シムノン著 宮嶋聡訳

 図書館の新刊棚に残っていたので借りる。帯の惹句に「メグレ警視」シリーズの番外編とある。表題にロニョン刑事とあるが、彼が活躍するわけではない。どちらかというと彼は間抜けな役回りで、事件を解決するのはリュカ警視だ。

 ネズミと呼ばれる浮浪者が道で大金を拾ったと、届け出る。実は道で拾ったわけではなく、たまたま出会った死体から転がり落ちたものだ。遺失物として届ければ、一年後にはまるまる手に入ると踏んでのことで、死体は無視した。ところが、死体は消えてしまったのかニュースにもならない。殺されたのは誰か。挙動不審なネズミにロニョン刑事がつきまとう。果たしてネズミは大金を手にできるのか

 最近はミステリー本以外を読んでない。それも翻訳本ばかり。名前を頭に入れるのに苦労があるが、生々しすぎないところが増しかもしれない。今回も何度も最初の「主要登場人物」に戻って読み進め、人間関係が判然とした頃に読み終わった。再読すれば謎解きもはっきりするが、そこまではしない。

 一挙に夏日の到来で、冬物の片づけやら、外仕事と慌ただしい。甘夏も残り少なくなり、 昨日はマーマレードの12回目を煮込んだ。ブーゲンビリアの植え替え、彼岸以来の墓参り、草引き、黄砂で汚れたサッシの掃除などなど。やらなくてもすむことまでやってると言われる貧乏性だ。

 桜はすっかり葉桜、チューリップはがばりと開いて外れ、山吹と牡丹とつつじが咲き出した。

 

 

     ガザ虐めまだ終わらぬかと蛇の出づ

 

 

 カサコソした音に振り向けば、青大将の尻尾がスルスルと草叢に消えて行った。十月から始まったガザの災禍は、冬眠中も続いていたかと蛇もあきれているにちがいない。

 

春の海

しまなみ海道の旅

新幹線 往路

 マイナーな駅(岐阜羽島)からマイナーな駅(新尾道)への切符手配に苦労したことは、先に書いた。こだま、のぞみ、こだまと二回も乗り換えがある。乗車時間2時間半。外国人の同乗者が多い。

         トンネルをぬけて桜やまた桜

尾道ラーメン

 新大阪駅での大慌ての乗り換えの果てにやっと着いた新尾道駅。申し訳ないが岐阜羽島駅より寂しい。駅前でレンタカーを借りて、まずは近くの有名ラーメン店で昼。「尾道ラーメン」は当地の名物とのこと。豚骨スープの醤油味で当方にはすこし辛い。背脂が浮いている濃厚な味で、麺は細麺。正午前だったのですぐに入れたが、出る時には待ち客がかなりあった。

新尾道駅

 

向島

 いよいよ「しまなみ海道」である。片道約60キロ。五つの島を結ぶ高速道路だ。尾道水道をはさんだだけの「向島」にいきなり降りることにする。海なし県の者にとっては、ともかく海が見えただけで気持ちが高揚する。島の海岸道路に沿って車を走らせる。自転車で廻っている人もいる。案外女性が多い。「因島大橋」のたもとで橋を見上げる。

 

          島かげの先に島かげ春の潮

因島大橋

 

生口島・向上寺の国宝三重塔

 因島はスルーして三つ目の「生口島」に降りる。ここには「向上寺」という目当てがある。室町期の国宝三重塔だ。ところが「耕三寺」という今出来の寺の案内ばかりで、「向上寺」はでてこない。それらしきところで地元の人に訊ねて判明。ローで登らねばならぬほどの急坂の先に目当ての寺はあった。先の訪問者は老夫婦のみ。禅寺らしいが人の気配もなく、塔の拝観は100円とのみ。急な階段の先、山懐に朱の三重塔。昭和になって塗り替えが行われたようだが、創建は室町期(1432年)。ヤマツツジに囲まれた塔の眼下に桜と海が広がる。連れ合いがハンミョウを見つけたが、当方は見逃した。

向上寺三重塔

 

          三重塔の朱塗や山笑ふ

 

大三島多々羅大橋大山祇神社 

多々羅大橋

 

 大三島は五つの島のなかで最も大きい。大三島生口島を結ぶ橋が「多々羅大橋」で、世界一(完成当時)の斜張橋だということだ。橋のたもとでひと休憩。晴れているが、海風が強く寒い。この辺りは柑橘類の産地らしくレモンやはっさくが売られている。

 島の反対側にある大山祇神社を目指す。ここは昔から気になっていた甲冑国宝館がある。大山祇神社の御祭神はオオヤマツミの尊。山の神であり海の神でもあり、軍神としての側面もある。戦での戦勝を祈願して、古来より鑑やら刀剣、甲冑などの武具が奉納されてきた。歴史上の著名な人々から奉納されたものが、国宝館に収蔵されている。古いものでは白村江の戦の時の斉明天皇奉納による鑑から、鎌倉期の武将の奉納品の数々。中でも河野通信や頼朝、義経兄弟の奉納甲冑が国宝である。弁慶や巴御前所用の薙刀などもあり、刃こぼれが生々しい。空調設備で厳重に管理された国宝館で実に見応えがあったが、見学者は我らだけであった。

 

          義経の鎧にほつれ春深し

 

 義経の甲冑は壇ノ浦の戦いの後、佐藤忠信の手で奉納されたとある。草摺部分に丸いほつれが二三ある。槍か弓傷かと憶測してしまう。

大山祇神社

 

今治で宿泊

 さすがに疲れたので、伯方島と大島はスルーして宿泊地の今治を目指し、来島海峡に架かる世界最長三連橋の来島大橋を渡る。宿は「スーパーホテル今治」。温泉があり、無駄を省いたエコでリーズナブルなホテル。狭いが新しく気どらない。テレビは4Kが視聴可能だった。

 夜は歩いて9分の居酒屋「陣」。予約をしていったのだが、ここがよかった。美味しかった上に、旅の者だと言ったら、大将が「サザエの唐揚げ」をごちそうしてくださった。

 

今治城 復路

 二日目は今治発の復路である。連れ合いは若い頃商用で来たことがあるというが、当方は初めてである。「タオルの街」としか知らない。宿の近くに城がある。今出来の城だと聞いたので、ちょっとだけ寄るつもりで出発する。海水を引き入れたという堀と石垣が見事で、びっくりする。城内外の桜も見頃。

藤堂高虎今治城

 

来島海峡展望館

 今治最後に来島海峡と来島海峡大橋をしっかり見ておこうと展望館による。橋も海峡も一望できる。海峡の速い潮の流れに乗って船は行き交う。

 

         大橋の果ては霞みて潮速し

 

来島海峡大橋

 

 はや10時近い。レンタカーの返却は11時半。急がねばならない。復路は一挙に尾道を目指す。車は少ないし、野山は緑で気持ちのいいドライブだ。11時少し前、尾道に着く。

 

浄土寺

 少し時間があるからと街の中心から外れた浄土寺による。浄土寺真言宗のお寺で本堂・多宝塔が国宝。あと重文の建物もいくつかある。ご本尊は十一面観音で秘仏

浄土寺多宝塔

山門の下は線路と海

 しかし、時間がないのにここに寄ったのは失敗であった。境内の階段下を山陽本線が走り抜けるという狭さで、車で行くのは無理があった。早々に退散して少しだけ遅刻してレンタカーを返却する。

 

尾道商店街

 新尾道駅に荷物を預けて、タクシーで山陽本線の「尾道駅」に戻る。

尾道は海沿いの狭いところに商店街と鉄道、道路が走り、住宅地は山懐にあるといったところだ。狭いのにやたらと寺も多い。タクシーの運転手さんの話では、昔は石見銀山の積み出し港で財を成した商人が多く、寺も彼らが競って建てたものらしい。

 縁の文学者も多く、映画のロケ地にもなっているが、今は寂れた感じだ。駅前は「しまなみ海道」との関連で再開発されたと、これもタクシーのさんの言葉。

林芙美子

商店街

 「海が見えるレトロな喫茶店」なるところに入る。本当に古くて黴臭く失敗。懐かしい音楽が流れていたのだけよかった。

 

      ゆく春や茶房にサイモン&ガーファンクル

 

 坂道を登り、尾道らしさを体験する。「猫の小道」なる所を歩くが、たいしたことはなし。猫を三匹だけ見かける。ここは外国人も歩いている。上ったり下ったり、とにかく疲れた。

 

       ふりむけば道は転げて春の海

 

向こうに海

 

 二日間にわたる「しまなみ海道」の旅は、無事終わった。よたよたながらまだ頑張った我が脚と家族に感謝。

 この間我がひいきチームは単独首位をキープ。八年ぶりである。

 

 

紫木蓮

映画「リトルフォレスト」夏秋冬春を観る

 桜は散り初めだが、木蓮はあっという間に若葉に変わってしまった。昨日は大雨になるというので、急遽花がらを片づけた。濡れればへばり付いて手に負えなくなると踏んでのことだ。前もって手伝いを頼まなかったので、仕方なく一人でやる。連れ合いは大量の夏落葉と剪定木の始末をしているので、こんなことまでは頼めない。落花だけで大きな塵袋にいっぱいあった。すっかり変色してはいるが、匂いは甘い。堆肥山に積んで、土に返してやる。まさに、花の盛は短くて・・・である。うちに来て半世紀はなるだろうか。思わぬ大木になって、落ち葉の始末から、剪定と世話が大変だ。リビングのワックスがけをした後だったので、へろへろになってしまった。

 

  

        ちりてなほ甘きかをりぞ紫木蓮

 

 

3月29日満開

4月9日 若葉

さて、映画である。

 リトルフォレスト(小森)という東北の山あいの小さな集落で、自給自足的生活をする若い女性いち子の話。 町での暮らしに失敗して帰ってきたらしい。かって母親と暮らしていた家だが、どんな事情か母親は不意に家を出て行って、今は全くの一人暮らしだ。米を作り野菜を育て、野山の恵みを活用する。これが、実に豊かな食生活なのだ。おそらくプロの料理人の知恵が活かされているのだろうが、食材は素朴でも知恵さえあれば美味しいものは無限にあるのだと気づかされる。

 夏は自家製トマトのパスタ、麹から作る米サワー、みずのとろろ。秋はクルミの炊き込みご飯、アケビの炒めもの、栗の渋皮煮。冬は小豆からあんこを煮てお焼きに春は蕗味噌。主演の橋本愛が作り、美味しそうに食べる、食べる。米作りも冬の薪作りも相当の重労働だと思うのだが、悲壮感のないのがいい。 橋本愛がたくましく、健康的な女性を演じ、孫を見るような愛おしさを感じさせる。

 しかし、村の仲間から所詮、町の暮らしから逃げて来たのではないかと指摘された彼女は、春になって村を出る。そして、5年後、足元を見つめた彼女はパートナーと一緒に村に帰ってきた。今度は村の一員として村に根付いて生きていくために。

 2014年制作。春夏秋冬の四部作。主演は橋本愛 共演三浦貴大。フードディレクションはeatip。五十嵐大介氏の漫画が原作。

舞台になる東北の田舎の四季が美しい。この作品で、すっかり橋本愛のファンになった。魅力的な俳優さんだ。