昼の虫

『編む』 北條 文緒著

 著者は英文学者にして翻訳家。たまたま県図書館の書架で出会ったが、未知の方で、すでに物故されている。読ませる文章だが、なかなか辛辣な書きっぷりだ。「エッセイ集」とあるが、旅日記(紀行文)といってもいいかもしれない。

 が、最後の一編は紀行文という括りをはみ出した私小説のような趣で、筆者も「シアトル買物紀行」と名うってはいるが、シアトルでの話でもなく、買物の話でもないと断っておられる。

 大雑把にいえば、筆者が米国に住む友達を訪ね旧交を温める話であるが、女学校時代以来の結びつきの底に流れる感情が、時にコンプレックスであったり、優越意識であったり、怒りであったり、嫉妬であったり、そして思いやりでもあり、やさしさでもあるという複雑さ。どちらかといえばネガティヴな気持ちが強いのに、なぜ彼女は旧友を訪ねたのか。そしてなぜ旧友の前でとてつもなく浪費するのか。かつてはハーフの美貌と芸術的資質を誇り、優越意識を見せつけた彼女が、今や老いぼれ、家族間の平安も失ったのに対して、社会的ステータスも経済的安定も手にいれた、その自信を見せつけるためなのか、複雑な想いはわかるようでわからなく、人間の深い業を見るようで、読ませられた。

 この作品は「書き下ろし」の没後出版である。おそらく筆者にとっては、印画紙の表と裏の関係のように、よく似た資質の二人の、青春から老年期までの総括的意味あいを持つ作品なのかもしれない。さらに、本当は「小説家」になりたかったという思いを(来歴に芥川賞候補になったことがあるとあった)、エッセイという形を借りて夢を叶えた一編だったのかもしれないと、思うことだ。

 

 

        まぎれなく余生と思ふ昼の虫

 

 昨日、一昨日の雨をさかいに、蝉の声が途絶えたような気がする。代わって昼間もしきりに虫の声。いろんな声が聞こえるが、特定できない。虫の声も鳥の鳴き声も知っているようで知らないものだ。

 

 

アンドリュー・ワイエス

秋出水

豪雨の記憶

 台風24号が迷走して秋雨前線を刺激、大雨が降るとさかんに報道されている。天気予報を見れば、二週間先までおひさまマークはなく、気持ちが塞ぐ。

 確かに秋雨前線と台風のかかわる豪雨被害は、過去に何度も繰り返されたパターンである。当地でもっとも酷かったのは、いわゆる「安八豪雨」(1976 9・12 台風7号と前線)で、長良川の堤防が50mにわたって決壊した。大小の河川も氾濫・決壊して岐阜県南部から愛知県にかけての大災害であった。

 我が家も西隣の川が氾濫、犬走りの下まで水がきて、小さな側溝も川からの溢れ水で、小魚が泳いでいるよと子どもたちが騒いでいたのを思い出す。夫が大阪単身赴任中で、月曜日の朝、新幹線の岐阜羽島駅まで水の中を送った覚えがある。よく車がストップしなかったものだと最近のニュースを見るたびに無謀だったと思うことだ。

 2000年の名古屋豪雨(9・11〜9.12)は台風14号。新川の決壊。名古屋市の野並あたりの水没。岐阜県では恵那地方の被災。

 2011年紀伊半島豪雨(9・1〜9・3)は台風12号。大型で動きが遅く和歌山県を始め、奈良県などに甚大な被害と死者をもたらした。この時はちょうど高野山から白浜へ夏休みの旅行中で、高速道路が通行止めになる寸前に脱出。白浜のホテルでは台風キャンセルがあったからと、ずいぶん豪華な部屋を案内されて喜んだのだが、観光もせずに撤退となった次第。

 さて今回の台風24号と秋雨前線である。すでに北陸や青森などで被害が出ているようだが、なんとかこれ以上大きな災害にはならないでほしいものだ。先程から少し強い雨脚になってきて帰宅途中の子供らが「やべぇ」と叫んでいた。どうぞこれ以上ヤバくなりませんように。。

ミステリー『赤毛のレドメイン家』を読む。

 江戸川乱歩が絶賛したと阿刀田高さんの書評で読み、県図書館の古ぼけた創元推理文庫で読む。確かに面白かったが後味はよくない。ミステリーだから当然なのだが。

 

 

         何もかも泥の匂ひや秋出水

 

 安八豪雨で浸水被害にあった知人に、泥水に浸かったものは、洗っても洗っても匂いが抜けぬから捨てるしかないと聞いたことがある。

 

 

秋ついり

『たまさかの古本屋 シマウマ書房の日々』 鈴木 創著

 この本から得た知識によれば、古本でも「まだ新刊でも流通しているような年数の浅い本のことを『白い本』、戦前の本などのようにすでに絶版となって古書でしか入手できない本を『黒い本』と呼ぶ」そうで、シマウマ書房という店の名前はそこからきてるとのこと。シマウマ書房は名古屋の今池にある古書店だが、残念なことにおじゃましたことはない。

 さすが本の森の中にお住まいだけあって、初めて聞く書名やら印象的な一節の引用など、いくつか検索したりメモを取ったりしながら、読ませていただいた。ホームページによれば、現在買取は中止されているようだが、私の乏しい愛蔵書なども、できればこういうお人柄の店主さんに、始末していただきたいと思ったことだ。

 さて、この本の一ページに、次のような一文の紹介があった。

「人間の歴史はけっきょくのところ、さまざまな不安定要素に対して日常を拡大しつづける努力だったのだ」  安部公房『死に急ぐ鯨たち』より

 最近のニュースを見ていると、大きな括りをすれば「戦争」と「温暖化による災害」の不安なニュースばかり。最近それに「AIによるシンギュラリティー」も加わった。2日ばかり前の朝日新聞によれば、AIの使い方を間違えれば、10年後には暴走したAIによる人類絶滅の可能性もあるという。ささやかな「日常を拡大しつづける努力」は、いったいどうなるのであろうか。

 書評からとんだ話になってしまったが、杞憂で終わればいいが「戦争」と「温暖化」は紛れもなく現実である。今日の「北陸の大雨」は、こちらにも激しい降りをもたらしている。

 

 

              古本の活字小さし秋ついり

 

 

 

豊田市美術館 クリムト

法師蝉

『戦中派』  前田 啓介著    その2

 戦争が終わって死の淵から生還した彼らは、まず「なぜ自分が生きて還り、なぜ友があるいは仲間が死ななければならなかったのか」という自責にも似た思いに駆られた。

 生と死の間に引かれ、偶然に友と自分を隔てたその線を、彼等ははっきりと見たのだ。そして、帰ってきた国が、ふるさとが、時代が死を賭して護らんとしたものとはかけ離れて行くのを感じた。

 そんな想いの中で、吉田満は『戦艦大和ノ最期』を書いた。初稿は1945年9月、ほとんど一日で書き上げたという。改訂すること十回、なぜそこまだこだわったのか。江藤淳は「死者との交感と鎮魂のためにこそ書かれたのであり、・・・その行為は作者自身の再生のためにも必要な祭儀であった」と書いた。

 多くの死を持って贖った戦後が、何も変わらないのではないか、そういう疑念が戦中派の多くの心に兆し、生き残ったことへの後ろめたさと共に彼らを苦しめた。

 1950年朝鮮戦争の勃発。朝鮮特需などにより1950年代半ば以降経済は急激に回復、高度経済成長に向かっていく。この高度経済成長の中心的推進を担ったのも戦中派であった。「どうせ死んだ命だ。命がけで働く。」という労働観を生み出したというのだ。

 1989年昭和天皇の崩御。多くの戦中派世代は定年を迎えた歳となり、「社会での主体的な役割」をほとんど終えていた。その春、古山高麗雄は書いた。「戦後、何でも言える国になったはずだが、わが国民は、世につれる性が強く、だから、国民もマスコミもたちまち、ひとつ調子になる。・・・少なくとも、自分は、このひとつ調子の外にいなければならぬ。・・・揶揄されるが揶揄するものになるな。揶揄するよりは揶揄されるものになれ・・・」

 戦中派世代を1917年から1927年生まれとすれば、今や109歳から99歳。おそらく殆どの人が鬼籍に入られたことだろう。彼らがどういう思いで青春を送り、どういう葛藤の中で生と死を見つめたか。さらに生きて還った人たちはどんなメッセージを残していったのか。読まれて欲しい本である。 (第74回日本エッセイスト・クラブ賞受賞作品。)

 

 

            宿題の仕切り直しや法師蝉

 

 夏休みも少なくなってきた。未だ手つかずの宿題やら課題をもう一度見直して、遂行計画を立て直したという経験はお在りではないだろうか。とにかくこれからが追い込み時だと、プランを作り直したことだ。

 この歳まで、きちんとしたいのになんとか辻褄を合わせてきたという生き方が、ずっと続いているような気がする。

 

敗戦忌

『戦中派』 前田 啓介著

 「死の淵に立たされた青春とその後」  その1

 「戦中派」とは「死を生のなかに内包して生きた世代。」戦中派世代が自ら名乗った呼称であり、筆者の定義では1917年から1927年生まれの人たち、中でも最も死者が多いのは、1920年から1927年生まれだという。

 つまり幼年期は「教養文化と大衆文化が進展」、比較的恵まれた時代であったにもかかわらず、1931年の満州事変、1937年の日中戦争、1941年の太平洋戦争とどんどん暗く息苦しい方に進んでいった時代と成長期が合致した人々。

 この間少年期から青年期を迎えた彼らは、迫りくる死の予感の前に自己を見つめ、よく生きんと欲したが、1943年学生の徴兵猶予も停止。やむなく学窓から戦場に向かはなければならない人も多かった。

 

 一九四二年の秋あたりから

 一人ずつ

 一人ずつ

 新宿の夜と霧の酒場から

 男たちが

 消えていった 三十人の

 男たち まるでアガサ・クリスティの

 探偵小説みたいに まるでマザーグースの

 テン・リトル・ニガーズみたいに

 当時を詠んだ田村隆一の詩である。自分の未来、自分の夢、自分の最愛の人、そういったものすべてを投げ捨てて戦場に赴かねばならぬ理不尽さを、この本では、吉田満や古山高麗雄らの立場を通じて語っている。

「無言館」に描画を残した人も、『わだつみのこえ』を残した人も、鶴見俊輔も司馬遼太郎も金子兜太も水木しげるもみんな、そのひとりであった。

 

 卑近な我が家の例になるが、上の姉は1924年、下の姉は1927年。いずれも戦中派に該当するが、女性だから免れたというべきか。同級生には予科練に行った人もいたとそんな話を聞いたこともあった。

 死の淵から帰還した彼らが、「戦後」をどう生きたのか。この続きは又にします。

 

 

             公園に半旗の揚がる敗戦忌

 

 

 

 昨日、図書館に行ったら公園の国旗と市旗が半旗になっているのに気がついた。おそらく戦死者の冥福を祈るためのものであろう。連れ合いと二人でテレビの前で黙祷をした。それからこの本を読み進めた。

 

戦争(無季)

『笹まくら』 丸谷 才一著

 毎年八月は戦争関連本を読むことにしている。今年は何にするかと思っていた時、NHKテレビで丸谷さんの『笹まくら』がドラマ化され放映されることを知った。主演の森山未来は好きな俳優である。ぜひ観ようと思って、はてさてどんな結末だったかと思い至った。書き出しは記憶にあるのに全体像が思い出せない。読了してなかったのかもしれないと、Tの書棚から出してきた。

 Tの話では、この本を「打ちのめされるようなすごい本」と評したのは米原万理さんらしいが、確かに読み応えがあった。

 主人公はあの戦争の徴兵拒否者である。見つかれば重罪という危険を犯して5年間逃亡し続けた男は、戦後前歴を隠して大学の事務方として働いていた。しかし、ちょっとしたことから前歴が暴露され精神的に追い詰められていく。逃亡中と現在とが入り混じったストーリー展開で、不安や疑心に追い詰められていく様子が、重苦しい緊迫感で迫り、まるでミステリーのようだ。

 結末まで読み切ることが辛いなと思っていたが、最終的には救いのある終わり方でほっとした。読み終わるまでドラマは封印していたので、これでドラマも観てみようと思う。

 

 

       戦争が隣の部屋から覗いてゐる

 

 

「戦争が廊下の奥に立ってゐた」と詠んだのは渡辺白泉だが、今は隣の部屋からこちらを覗いて隙あれば踏み込もうとしている状況かしらん。「非核三原則を堅持しており‥現実的かつ実践的な取り組みを推進しています。」とは、もっとらしく誤魔化した言葉。

 

エゴンシーレ(豊田市美術館にて)

 

夏休み

アンドリュー・ワイエス展を観る

 猛暑の谷間のような一日、思い立って豊田市美術館の「アンドリュー・ワイエス展」に出かける。

 静謐な精神性を感じさせる絵画であった。「窓」を描いたものが多く、窓の外の明るい世界と屋内の日陰が対照的であり、なにか象徴的でもあった。

多くの作品の中で特に好ましく感じたのは、窓から吹き込む風をとらえたもので、自身の田舎暮らしに繋がる幸福感を感じさせる作品だ。

 

 別室で「ヤノベケンジ展」も開催中

 この他常設展示、高橋節郎(漆工芸作家)の作品も鑑賞。

  学校の課題なのか、中学生らしい人たちがプリントにメモしながら鑑賞をしていた。朝一番で入館したが、帰る頃は駐車場も満車であった。

 

 

         メモしつつ絵画鑑賞夏休み