『編む』 北條 文緒著
著者は英文学者にして翻訳家。たまたま県図書館の書架で出会ったが、未知の方で、すでに物故されている。読ませる文章だが、なかなか辛辣な書きっぷりだ。「エッセイ集」とあるが、旅日記(紀行文)といってもいいかもしれない。
が、最後の一編は紀行文という括りをはみ出した私小説のような趣で、筆者も「シアトル買物紀行」と名うってはいるが、シアトルでの話でもなく、買物の話でもないと断っておられる。
大雑把にいえば、筆者が米国に住む友達を訪ね旧交を温める話であるが、女学校時代以来の結びつきの底に流れる感情が、時にコンプレックスであったり、優越意識であったり、怒りであったり、嫉妬であったり、そして思いやりでもあり、やさしさでもあるという複雑さ。どちらかといえばネガティヴな気持ちが強いのに、なぜ彼女は旧友を訪ねたのか。そしてなぜ旧友の前でとてつもなく浪費するのか。かつてはハーフの美貌と芸術的資質を誇り、優越意識を見せつけた彼女が、今や老いぼれ、家族間の平安も失ったのに対して、社会的ステータスも経済的安定も手にいれた、その自信を見せつけるためなのか、複雑な想いはわかるようでわからなく、人間の深い業を見るようで、読ませられた。
この作品は「書き下ろし」の没後出版である。おそらく筆者にとっては、印画紙の表と裏の関係のように、よく似た資質の二人の、青春から老年期までの総括的意味あいを持つ作品なのかもしれない。さらに、本当は「小説家」になりたかったという思いを(来歴に芥川賞候補になったことがあるとあった)、エッセイという形を借りて夢を叶えた一編だったのかもしれないと、思うことだ。
まぎれなく余生と思ふ昼の虫
昨日、一昨日の雨をさかいに、蝉の声が途絶えたような気がする。代わって昼間もしきりに虫の声。いろんな声が聞こえるが、特定できない。虫の声も鳥の鳴き声も知っているようで知らないものだ。

アンドリュー・ワイエス











多くの作品の中で特に好ましく感じたのは、窓から吹き込む風をとらえたもので、自身の田舎暮らしに繋がる幸福感を感じさせる作品だ。




