梅の花

梅の花を見に

 三重のいなべ梅林公園に梅の花を見に行く。我が家からは高速道路も利用して一時間半ほどの距離である。休日はかなりの人出というから、平日でも早い時間にでかける。いなべ市でもかなり北部、岐阜県境に近いところ。山懐に広い農業公園があり、その一角が梅林である。

 花は満開に近い。枝垂れ梅の大木が多く、見事である。色も白梅から紅梅、臙脂色の濃紅もある。敷地も高低にとみ、梅林を一望できる。梅の花がこんなにも香るものとは知らなかった。

 平日の早い時間のせいか、思ったより人出は多くなく、十分堪能できた。出店もあり、ちょっとした買食いの楽しみも。誘われた我が家も「花より団子」も忘れずに。

 

 

       紅梅の枝垂れをくぐり白梅へ

 

 

三岐鉄道の終着駅「西藤原駅」へ

 いなべ市障害者支援施設の食堂「はな」で昼餉に蕎麦をいただく。同市産の蕎麦粉をここで打ったとあり、とても美味しい蕎麦だ。店外の掲示物に、三岐鉄道の終着駅が近いとあったので寄り道をする。藤原岳の登山口の最寄り駅らしい。電車には会えなかったが、興味深いものがいろいろあった。

機関車を模した駅舎

ホーム

保存してある蒸気機関車と電気機関車 昔この路線を走っていたもの

 

椿大神社へ

 少し南下しなければいけないが、これは最初から予定に組んでいたところ。「椿大神社」と艶やかな名称に惹かれてのことで、神社は伊勢一宮、ご祭神はサルタヒコノカミである。サルタヒコノカミはニニギノミコトの天孫降臨を導いた神様と言われている。大きな山を背景に鎮座されており、古代は山がご神体であったのだろう。掲示物には山中にいわくらもあるとあった。神は見えないが、雰囲気はあり、大木に囲まれた神域は厳かである。サルタヒコノカミの神は国津神であり、なぜ外来神を招く手助けをしたのか、気になる存在である。

椿と名告るわりには椿の花が少ない。これは拝殿前の椿。

 初詣の時期でもないのに、参拝者が多いのには驚いた。最近の若い人は、鳥居をくぐるにも一礼をして礼儀正しく、我々もつい真似をした。この神社の名物土産が「草餅」ということで、草餅と伊勢茶を購入したのは、言うまでもない。

 

 花粉飛散真っ最中の山辺歩きで、ありがたくない土産つき。今日も目の痒みと鼻水とでグチャグチャである。

『がんと生ききる』 落合 恵子著

 落合さんが癌になられた。2023年のことである。放射線照射と抗癌剤で治療されて、今は2年目。体調の不安はお有りのようだが、ほぼお元気になられたと察する。2人に1人は癌になると言われる時代だ。オーガニック食品にこだわりのある落合さんでも免れ得なかった。もっとも100人以上のスタップを抱える企業人としてのストレスは並大抵ではなかったかもしれない。

 五年ほど前、ストレスなどおよそ無縁のような田舎のオバアでも癌になった。33日の放射線照射と4回の手術(抗癌剤少し)、障害と後遺症は残ったが、概ね元気だ。

 「がんになり、否応もなく自分の死というものを意識せざるを得なくなって、そして、日々の中で何度もそれをを繰り返した結果、ひとはいつかは死ぬという事実が、明らかな実感として、わたしのうちがわに深く根を張った・・・」

 能天気なオバアでも、あれ以来日々を大切に暮らすということぐらいは習慣にしてきた。落合さんのようにまだまだやりたい夢があるわけではない。せいぜい家族に美味しく安全なものを食べさせてやり、世の中の理不尽に小さな異議申し立てをするくらいだが。癌は辛い体験だったが、意味のないものではなかったと、今は思える。

 

 久しぶりの雨。暖かいのは救い。それにしてもこのところ2月に20度越えとは、ちょっと異常ではないかしらん。まずは今季7回目のマーマレード作りをする。せつせと作っては冷凍もする。

 オリンピックは「りくりゅう」と堀島以外(岐阜出身)は、ほとんど見なかった。NHKテレビなどそれ一辺倒で、やっと終わってほっとするのは、トシヨリの偏屈である。

 

 

     花に酔ふ蝶のごとくにペア舞ふ

 

土手青む

『川の旅』 池内 紀著

 先に読んだ本に「散歩者は川の近くに住むべきだ」とあった。「水は無聊を慰める」からである。全くそのとおりで、川沿いの散歩道が工事のせいで途切れ途切れになったのは、実に寂しい。

 久しぶりの池内節。これは未だ読んでないなと思って借りてきた。全国の川巡りといおうか、いくつかの川とその周辺にまつわる話。興味深い話の時は、ネット検索をして映像を見たり、更に詳しく調べてみたり、近場なら出かけてもみたいと情報をメモする。

 暗門川の上流の暗門の滝、肝沢川中流域に広がる散居村集落と円筒分水工、那珂川上流の消えた村の三斗小屋宿、常願寺川の鳶崩の大石、山国川の青の洞門などなど。

 近場は木曽川と一乗谷川、安曇川、足助川である。まずは一番近い木曽川沿いの美濃加茂市、播隆上人(槍が岳の開山者)のお墓ぐらいは尋ねてみようか。

 うちの隣の川は小溝のような川だったのを昭和の初めに人工的に掘り下げ広げたもので、これでも一級河川だという。人工的な掘削は何のためだったのか、ちょっと調べてみたくなった。今の工事はこの川を渡る新道の橋造りである。一段と高い橋がかかるようで、川沿いの行き来ができなくなった。町内を分断する道でオバアにはちっともありがたくない。

 

 

     

      踏みしだく重機の唸り土手青む

 

川辺りを歩けば、こんなかわいい鳥たちにも会える

囀り

狷介な風貌と静謐な画風 「高島野十郎展」を観る

 日曜美術館で知って、ぜひ観たいと思っていた数々の作品を観に豊田市美術館に出かける。

 「高島野十郎」は、生前はまったく、死後十年を経て世に知られることになった画家である。出身は、福岡県久留米市。旧制八高や東京帝国大学で学び、銀時計を得るほどの成績だったにもかかわらず、画家の道を選ぶ。裕福な実家から分与された資産で欧州を歴訪。帰国後は実家や東京、姉の家などを転々としつつ描き続ける。晩年は千葉県柏市増尾に移住、水道もガスもない小さな小屋に充足。その後、ささやかな個展を開き、各地を放浪後、先の増尾の伊藤家に寄寓。生涯独身で静謐で写実的な画風を追求、仏教的関心も高かったという。(ウィキペディア参照)

 没後50年とした今回の回顧展は関連作家の作品も含めて170点。大規模な展覧会で高島野十郎の素晴らしさを十分堪能できた。どの静物画も風景画もすばらしいが、あえていえば、空気感がいい。水がいい。湿った大気、濡れそぼった風景。薄い光に照らされた闇などなど。燃え立つ蝋燭は繰り返し描かれたテーマ。

絶筆の『睡蓮』

 

以下は美術館の屋上風景

ヘンリー・ムーア『座る女・細い首』

 

 

         囀りの祝祭となる椋大樹

冴返る

歴史の曲がり角か

 選挙結果を知って昨夜はすぐに寝つかれなかった。まあ、今季一番の寒さだったこともあるのだが。なぜこんな結果になったのか。なぜ推し活というほど首相人気があるのか。ある人が爺にはこの世の中の変化がわからなかったと書いておられたが、婆も同じである。若い人たちが、あの選挙が曲がり角だったと、後年悔やむことにならねばよいが。

 

       深々と敗者の礼や冴返る

 

『近代俳句の初志』 井口時男評論集

 月次俳句しかできない者が、久しぶりに俳句の評論集を読んでいる。

「描写だけじゃダメなんです。凝縮されたイメージ・それが作り出す力です。メタファーというだけでは足りない象徴性、それゆえの永続性、これが俳句表現の最たるものです。」

 

 その前夜(いまも前夜か)雪しきる   井口時男

 

 世界病むを語りつつ林檎裸になる   中村草田男

 

 戦争が廊下の奥に立つてゐた     渡邊白泉

 

春浅し

春へ一歩前進

 暦通りに多少は暖かくなったが、明日からまた第一級の寒波到来らしい。

 今年買ったユニクロタートルネックセーターを洗って干したら、すでにピンホール状のほつれを発見。ユニクロは時々これがある。お安いので仕方がない。今までも体験済みで、よく似た糸で繕う。

 そうそう先週お取り寄せりんごにクレームを付けた。もう何年も利用している青森のりんごだが、一月配達分が美味しくなかったのだ。酸味が強くて、生食には向かないと思ったので、コンポートにでもするしかないと思いつつ、発送元に電話を入れてみた。思ったより丁寧な対応で取り替えてくれるという。配送業者が受けとりにきて、その後再送付されたが、これは同じ種類でも格段に美味しかった。どういう訳かわからないが、我慢しないで電話をしてみてよかった。

 投票日は雪になるというので、期日前に行ってきたが、予想は芳しくなく気持ちが沈む。争点はいろいろあるが、戦争は嫌だという一点で選択したが、どうやら憲法改正も視野に入る与党の大勝らしい。

 前にも触れたヌートリアだが、子づれで現れるようになり、業を煮やした連れ合いは市役所で罠を借りてきた。今のところ掛かってはいないが、一匹のおチビが少しとろいので心配だ。警戒心が足りず、昨日もちょろちょろ出て来た。連れ合いに見つからぬうちにと追い払うおうとしても、こちらを見上げてきょとんとしている。親同様大きくなれば、畑の野菜を食害するのは目に見えているから、困ったものだ。

 

 暖かくなればそぞろ旅ごころの蠢きだすのは毎年のこと。だんだん遠出は無理になってきたからと、近場を考える。参考にと再読を始めた三冊。

『近江山河抄』『街道をゆく 近江散歩 湖西のみち』

 司馬さんも白洲さんも博識で読み応えがあり、近江愛に溢れた本である。再読だが詳細は忘れているのでかまわない。近江はかなりのところ廻ったつもりでいても、まだまだ奥が深い。ここも再訪にはなるが、甲賀辺りに行こうかと思う。櫟野寺も油日神社も昔々姉と訪れたが、資料館の福太夫神面やずずい子さま(これは白洲さん『かくれ里』に出てくる)には対面してない。家族にもぜひ見せてやりたいので、まずはここにと思うのだが。

 

        温玉の黄身のとろりと春浅し

 

 

冬桜

寒水仙

 一昨日は母の祥月命日。既に五十回忌は過ぎて、52年だったか、53年だったか。記憶も不確かになり、母という実態も薄れてしまった。風の冷たい日だったが、庭の寒水仙をとりまとめて、墓参りだけはした。

ベイルート961時間』(とそれに伴う321皿の料理)関口涼子

 フランス在住の作家、詩人、翻訳家によるベイルートルポルタージュベイルートってどこだっけ。昔、連合赤軍関連で耳にしたけど。レバノンの首都だったと気づいて、カルロス・ゴーンを思い出す。(彼はレバノンに逃げ込んだ)それからイスラエルヒズボラの争い。ヒズボラ軍が正規軍とは違うと聞いたややこしさ、不思議さ。ことごとさように、この本にも内戦の話があちこちにあり、複雑極まりない歴史のようだ。加えて2020年には港で肥料倉庫の大爆発があり、首都の半分が吹き飛ぶ惨事があったらしいが、私にはこのニュースの記憶はない。

 筆者の訪問はこの惨事の前、東北大地震の後である。961時間と表題にあるとおり、一か月半にわたる滞在中の気づきを、著者の食べた321皿に因んで、321項目にまとめている。カタストロフ前夜(革命と大爆発)の暮しに触れた旅日記、それも主に料理をめぐっての本である。

 にもかかわらずだが、個別の料理は頭に入りにくかった。写真があるわけではなく、材料だけ挙げられても田舎の東洋人には想像ができない。食材にひよこ豆胡麻、松の実がよく出てきた。検索をしていくらかわかったものはケッペ、クスクス。モロヘイアはうちでも作ったことがある食材だが、私は苦手だった。レバノン料理の味はとても「軽く風に翻る半透明のスカーフだ」というのだが、詩的な例えだけでは全くわからない。「日本料理がご飯とお菜を口の中で調和させる口中調味なら、レバノン料理は皿の上の調味」。これはよくわかる。

 日本とレバノンの比較なら、こんなことも。共にホスピタリティがあるのはともかく、多くのカタストロフが続いたため、それが一種の諦念につながり、結果として指導者に都合の良い状況を生んでいる点だと言うのだ。国家が当てにならぬからお互いが助け合う福祉民族的というが、そうだろうか。

 そういえばこんな比較もあった。東京とベイルートである。東京は「疲れて寛容さを失った人々」の年老いた街、「反対にベイルートが年老いているとは思わない。不満を抱え、怒れる人々ではあるが、彼らには反抗する力があるのだ。」と。フランスに定住、もう日本に帰る気のない彼女は、日本にはかなり辛辣である。反抗する力がないのは、そのとおりかもしれぬ。

 このルポルタージュでわかったこと。レバノンは面積は岐阜県程度。かつてはフランスの委任統治領で「中東のパリ」とも言われた。世界的な芸術家を多く輩出したが、複数の内戦を経て国外に亡命した人が400万から1400万とも、現在も国内人口を超える多さの人々が国外に住む国だ。国家が国家として機能しておらず、公共交通機関はなく、停電は日常的だが、富裕層は自家発電の装置を持ち、家政婦(フィリピン女性など)を雇う余裕もある。国として混乱しているように見えて、治安はよく、筆者の取材にも好意的で協力的だという。

 321項もあるのでうまくはまとめられないが、世界はどこもここも大変。シリアとイスラエルにはさまれた小国レバノンは尚更だが、筆者の在住するフランスやこの日本でも、どこへ行き着くのかわからない昨今だ。いつでもどこでも食べていくことにしたたかになるのは、一番大事なことかもしれない。

 

               寒水仙遠くなりたる妣のこと

 

 

うちにはこの寒水仙と、真ん中のシベが八重の寒水仙があるが、こちらの方が好みである。どうしたわけか、年々八重が増えて、昔ながらのこの形が減っていくのだ。