夏燕

『愛についてのデッサン』 野呂邦暢著 岡崎武志

 40年も前に書かれた短編集の文庫化である。今になって文庫化されたというのも、根強い人気のせいとオカタケさんの野呂愛の賜物に違いない。オカタケさんは野呂さんの文章を「山裾からほとばしる清冽な水」と讃えたが、確かに読ませる文章だ。

 『愛についてのデッサン』は、若い古本屋店主佐古啓介の周辺に起きた出来事を描いたものだが、全部で6編あり、特に面白く読んだのは「佐古啓介の旅(一)と(六)」である。どちらも謎解きの要素があり、それが読ませる原動力にもなった。

 「佐古啓介の旅(六)鶴」は、亡くなった父の過去を探る旅の話である。啓介の父は東京で古本屋を営んで一生を終えたのであるが、若い頃上京して以来故郷長崎へは一度も帰郷もしなかったし、話題にも載せなかった。父はなぜ故郷を捨てたのか。たまたま父の古い友人の蔵書整理で、父の若い日の歌集を贈られた佐古は、それを手がかりに父の足跡を辿る。

 長崎で佐古が知ったのは若い日の父の姿、短歌会に名を借りたささやかな反戦活動やら、同人の女性との交際、実の兄にフィアンセを獲られ失意のうちに上京、その後の原爆投下と実家の消滅。

 短い話の中に過去と現在の時の流れ、ひとりの若者の恋と喪失を描ききだした心憎い構成であった。

 「佐古啓介の旅(一)燃える薔薇」はさらにミステリアスな要素が加わるが、ここでは触れない。このシリーズでは文中に様々な詩が引用されるが、これらが登場人物たちの輪郭を、より確かなものにしていると思った。 

 

 

      飛び交うて卯建(うだつ)の町の夏燕

 

 

  昨日の外出の名残である。呻吟してもいい句はできないのである。

 飛び交う燕は撮れなくて残念。