青梅雨

『日本人はるかな旅 5』 NHKスペシャル「日本人」プロジェクト編

 昨日農協の米屋に行ったら、いつもの割引率50円を30円に変更することと、10キロ以上は売れませんという紙きれを渡された。なんでも天候不順とインバウンドのせいで、米不足だというのだ。うちの辺りでは今年も米作りはしないようだから、余っていると思ったのに一体どういうことなの。足らなくても今更たいへんな米作りは、もうしませんということなのか。曲がり角の「米作り」、日本文化の土台を作ってきた「米作り」の、これはその最初の始まりのお話。20年も前に放映されたNHKスペシャルの書籍化で、情報は少し古いかもしれない。

 

 縄文人といわれる人々が暮らしていたこの島国に大陸から大勢の人々が渡来してきたというのは今や間違いのない事実である。かれらは稲作や先進的な農具などとともに、争いという文化ももたらした。時には前住民である縄文人と争い、時には共存し、縄文人に入れ替わってこの島の主流となっていった。

 「縄文人は渡来人に駆逐されてしまったのか。」実際のところは、それほどひどいものではなかったらしい。現代人にも30%の遺伝子が残されていることから、縄文人の血は混血で残った。縄文人は稲作に興味をもったし、稲作を前向きに取り入れようともして、遥々視察にも出かけた。

 稲作は安定的な食料事情をもたらし、渡来系の人口は爆発的に増えた。農作業での共同はムラをうみ、クニとなり、人が人を支配するシステムが出来ていった。

 

 初めて知ったことがいくつかある。今から2000年前大陸からやってきた多くの人々は、春秋戦国時代の戦禍を逃れて来たのではないかという推測である。島根県の土井ケ浜で発見された350体あまりのの2000年以上昔の骨は、そうした渡来人の骨と思われる。みな一様に大陸の方を臨み葬られていたらしい。

 縄文人という原住民が融和的で柔軟であり、好奇心が強かったのも意外であった。東北地方から九州まで好奇心に駆られて視察に行った事実が土器の分布でわかったという。

 渡来する人々が船を出すのは秋の収穫後、西寄りの季節風に乗れば、わずか3日半で日本列島に到着も可能だったらしい。目的地の目印は「火を噴く山」である。

 さて、アイヌ系の人々とを除いては2割5分ほどしか縄文人の血は受け継いでいない現代人は、混血の渡来系弥生人の末裔として「米作り」の文化は延々と守り継いできた。が、これも今に至ってどうなっていくのはわからなくなってきた。農業政策というのは今のままでいいのか。わからないままに心配である。

 

 

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