梅雨深し

縄文文化と日本人』 佐々木 高明著

その2

 「成熟した採集社会」の東日本に比べ、何かと見劣りしていた西日本に、縄文晩期水田稲作農耕が伝来した。初期は畑作物の渡来で、やや遅れて本格的な水田稲作農耕が伝わったらしい。

 もともと雑穀やイモ類を主作物とする焼畑農耕が行われていた照葉樹林文化圏では、水田稲作農耕を受け入れる基盤が形成されていた。北九州からから始まって、二三世代のうちに一気に伊勢湾西岸にまで広がったという。

 最初は陸稲的性質と水稲的性質が分化していない種類だったが、後に早生のジャポニカの種類、ウルチ種よりモチ種が伝わったらしい。伝来ルートはいくつか考えられるが、淮河流域や山東半島付近から朝鮮半島西南部を経由したルートが最も重要ではないかと、いう。

 縄文中期に温暖な気候に恵まれ、著しく成熟した中部山岳地帯の東日本の縄文文化だが、気候の寒冷化で急激に衰退する。一方、焼畑農耕から水田稲作へとすすんだ西日本は、相対的に安定的だったようだ。

 米と共に大陸から金属器、麻栽培や養蚕、織物技術、支石墓などなどの文化も伝来、西日本を中心に弥生文化が形成されていった。

 だが、水田稲作だけで充分な食料が得られたわけではなく、主な食料のかなりの部分を米以外に頼っていたことは縄文時代と変わりないし、縄文文化の伝統も引き継がれていった。

 佐原真説によれば、それは打製石器や土器・木器・骨角器の製作技術、竪穴式住居、貝輪の装飾品、ウルシ製品、有用植物を利用する技術などで、主に日常的な生活面の要素である。これらの縄文文化の伝統はどちらかというと女性的な要素が多いので、「大陸から多くの男性と少数の女性がやってきた」というユニークな説もあるらしい。筆者もこの説は多分間違っていないと思うと書かれている。

 さて、水田稲作農耕は伝来したが、牧畜文化やミルキング文化(乳製品を利用)は入って来なかった日本、弥生時代を通じて、水田稲作の技術はますます向上し、生産が拡大、稲作を中心とする文化が、日本文化の中心となっていったのである。

 

 えらい熱心にお勉強ですなあと、家人に冷やかされてまとめたが、私流の勝手な読み取りと要約で、まちがいありと指摘されるかもしれないし、現在の学説とは異なるかもしれない。が、この国の文化的ルーツの話として、とても興味深く読まさせていただいた。この本の最終章では非稲作的生業に携わり、滅びていった山民の文化についても書かれているが、ここでは触れない。

 

 

  昨日、6回目のワクチン接種を受ける。受けるかどうか迷ったのだが、リスクを抱えるトシヨリだから、受けることにした。腕が多少痛いがたいしたことはない。

 「梅シロップ」2回目。冷凍をしておいた梅を使ってみた。生梅より速くエキスが滲出するようだ。4日ほどで出来上がった。酸味も生より濃いように思う。

 相変わらずの梅雨空。雨の間、U-NEXTで映画を観た。ひとつは友人に薦められた『セントオブウーマン』。評判をとった作品らしいが、アル・パチーノの饒舌にうんざりした。もちろん最後の演説は感動的だったが。もうひとつは『クイーン』。主演のヘレン・ミレンエリザベス女王に驚いた。あまりに似ていて威厳もある。調べたら吾輩と同年だった。

 

 

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梅シロップ、1キロ分です。