熱帯夜

小津映画を観る

 連日の猛暑である。連休を利用して下の孫が受験勉強に来宅、冷房のリビングは終日勉強室である。トシヨリは奥の和室に閉じこもり、暑さで半ボケの頭で映画を観ることに。

 小津作品は「東京物語」しか観てなかったが、先日「彼岸花」を観る。この作品はよさがわからず、不遜にも小津作品とはこんなものかと落胆したのだが、今日観た「麦秋」は秀作であった。

 「東京物語」と同じように、老夫婦からの視点で描かれた脚本で、トシヨリだけに余計に共感できるところがあったのかもしれぬ。

 戦争の災禍を含め、いろいろあったが、自分たちの人生もそこそこ良かったのではないかと二人でうなずき合う述懐は、どちらの作品にもあって、その類似性に驚いたが、これこそ作品のテーマであろう。

 類似性といえば、どちらの原節子も紀子であり、戦死した連れ合いや兄は昌ニ(省ニ)であった。紀子三部作といって「晩春」という作品があるらしいので、これも観たいものだ。

 製作年が1951年で、はや戦争の傷痕を感じさせぬ映像に驚いた。当時当方は六歳。あの何ともやんちゃな下の坊主と同じくらいである。晴れ着を着せられて生意気にポーズなどをとった写真があるから、急激に戦争の影は薄れていたのかなあと思う。

 あの坊主も今やトシヨリだろうが、いろいろあったがまあいい方ではないかと納得してるだろうか。金婚式を超えた私たちも、そう思って人生を括れれば言うことはない。

 

 

        最下位が一矢報いる熱帯夜