『石垣りんエッセイ集 朝のあかり』 石垣 りん著
一四歳で働きに出て、一生自分の足だけで立ってきた人らしい矜持、確固とした意志と深い思慮に貫かれたエッセイ集である。仮借のない鋭い観察とアイロニー、辛辣な眼差し、一方日の当たらぬ者への優しさ、どちらも彼女の詩にも共通する姿勢である。
長年勤めつづけてきた職場の機関紙にさえ、彼女ははっきりとものを言う。
「私たちの銀行の人たちは大へん良い顔をしている。」「ことにわが子息たちはまことに良い顔をしている。」自分たちのエリート性があからさまな職場新聞内のこういう一文に対して、「いい顔をしている人間の集まりであるという銀行という村落の幸福、というのは一体どういう性質のものであるのだろう。」と、その村落のアウトサイダーを自認する彼女は厳しい姿勢をはばからない。
かたや動物園に子供を連れて行くのに背広を着ていく人の事情については、私のほうが詳しいのだと優しいのだ。
公衆浴場の流し場でふいに衿をそってくれと頼まれた話も忘れられない。三十を過ぎてやっと明日おヨメに行くと言う人のうなじにカミソリを当てながら、美容院にも行かぬ豊かでない人の喜びの豊かさに心打たれる筆者である。
詩の恩師だという福田正夫の話もよかった。今までこの人を知らなかったが、清貧に甘んじながらも詩の指導に力を尽くされた人らしい。石垣さんの文章は師への敬愛に満ちていた。
十四歳から五十五歳の定年まで銀行員として働き、独身で、時にはその肩で家族六人の暮らしを支えた石垣さん。潔い一生であった。
連日の猛暑で、トシヨリの頭と身体は、いい加減に馬鹿になっている。
昨日の朝、テーブルから丸盆を落として、欠かしてしまった。春慶塗の大盆で気に入っていただけに、落胆。ボンドで接着してみたものの、気持ちは戻らない。もう大盆はなかったかしらんと、探し出したものにもひびが入っていて、どれだけそそっかしいことやらとますます自己嫌悪に陥る。そそっかしいというより、柔らかな動きができなくなったせいだ。
五街道雲助という落語家が人間国宝に認定されたというので、YouTubeで聞いてみたのが昨日なのに、演題も内容もちっとも思い出せない。
空っぽの頭でヨタヨタドタドタしながら、それでも連れ合いと小一時間草引きをした。しなければならないから働くが、なにもしなくていいのなら動くのすら嫌になってしまいそうだ。
ひとり暮らしの友人が、なんにもしたくないと言っていた気持ちがよくわかる。それでいても彼女は、未明の町を7000歩も歩いているらしい。
けふといふひと日ひたすら蝉しぐれ