『この父ありて 娘たちの歳月』 梯 久美子著
著名な女流作家たちに、父は何を残したか。彼女たちの筆で書き残された、父親たちの姿を紹介した一冊である。登場するのは、渡辺和子、斎藤史、島尾ミホ、石垣りん、茨木のり子、田辺聖子、辺見じゅん、萩原葉子、石牟礼道子。
総じて比較的長命だった娘たちで、(どうしてか母親とは早くに別れた人が多い)父との死別後も長く生き、「書くことによってその関係を更新し続けた」人たちだ。
父親像を浮き彫りにするには、短すぎるところがあるし、父親像というより娘たちの生き方そのものが興味深かった人もある。この何人かのうちで、良いにしろ悪いにしろ、特に父親の影が大きいと思ったのは、渡辺和子・斉藤史・辺見じゅん・萩原葉子・石牟礼道子の各氏。彼女らの生き方は、その父親なくしてはありえなかったかもしれない。
娘たちの父親像に対して、息子が書いた父親はどうか。
今、すぐに思い浮かぶのは、中野重治の父親、小熊英二の父親、阿部昭の父親がある。いずれも心に残る父親像であった。
「成熟した目と手をもつ」者が、父を書くことは、「歴史が生身の人間を通過していくとき残す傷について書くこと」だと梯さんは書いている。ここにあげられたどの父親も、難しい時代に、時代のくびきを感じて、生きた人ばかりである。
そして、明治に生まれ、大正昭和と生きた私自身の父親もまた、そのひとりであったと思うのである。
対岸に手を振りかえし春うらら
碇草