小六月

『煤の中のマリア』 石牟礼 道子著

 水俣病患者の支援活動を通して、石牟礼さんは人間性のなかの聖性ということに惹かれるようになったという。救いのない殉教に身を投じた島原の乱の人々について綴ろうと取材を重ねた道行きが第一章「草の道ー島原の乱紀行」である。

 天草四郎を頼みとして原城に立てこもったのは老幼婦女子を交えた百姓漁師、三ヶ月の善戦も虚しくことごとく惨殺されたという。その殲滅は容赦なかったようで今に至るまで遺跡らしいものはなにも残っていないのだという。

 そんな状況のなかで石牟礼さんは今に変わらぬ潮の流れを訊ねたり、乱後の疲弊し尽くした人心や土地を復興すべく努めた鈴木重成という代官について聞き歩く。

 鈴木重成という人はこの本で初めて知ったのだが、元は征討方の松平伊豆守の家臣であった。よほどの人格力量があったらしく復興のための総責任者を任せられ、兄の禅僧鈴木正三の力も借りて立派にその務めを果たしたらしい。それも生半可な行為ではなく、晩年には天草の民を憂い自ら石高半減の上訴をして割腹して果てたというのである。天草には今もこの鈴木代官の遺徳を偲んで鈴木神社があり、村々には手作りの小さな祠まであるという。

 「島原の乱」というものは教科書で習ったぐらいで、なぜ多くの人々(三万前後という)が望みのない戦いに身を投じたのか、宗教心をというのはそれほど甘美で魅力的なものであったのか、わからないことばかりだ。ここは石牟礼さんの『アニマの鳥』を読んでみるしかないのかとも思う。

 第二章は人吉・椎葉紀行、第三章は不知火追憶である。どこもここもコンクリートで固められ精神の荒廃も甚だしいこの国の行く末に、筆者の嘆きは深い。

 

 

 先々週三ヶ月ごとの経過検査を受けた。前回までやや怪しかったところに再発の可能性ありと告げられる。来週さらに精密な検査となり、ちょっと落胆はしたが悪ければ取るしかないと割合前向きに考えている。「食洗機」が付いたので「入院しても後片付けは楽になったね」と笑い合う。

 

 

 

 

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