四月尽

街道をゆく22 南蛮のみち1』 司馬 遼太郎著

 司馬さんのこのシリーズは、いつも知的な刺激を与えてくれる。国内の街道行脚が基本姿勢だったにもかかわらず西洋に目が向かったのは、この国の窓が初めてヨーロッパへ開かれたのが「南蛮」だったからだと、司馬さんは書いておられた。すなわち16Cの鉄砲とキリスト教の伝来である。

 1549年(天正18年)日本へキリスト教を伝えたのは、フランシスコ・ザビエル。彼の日本滞在はわずか3年弱だったが、多くの信者を生んだ。

 司馬さんはこの姿を追って、まずはフランスのパリ、カルチェラタンで、若き日のザビエルに思いを寄せた。哲学青年だった彼が、同輩のロヨラの熱い誘いにのって宗教的回心を体験、イエズス会の発足を誓ったモンマルトルの丘へも行く。

 そのパリを経て、司馬さんの旅はザビエル出身地のバスク地方へ。バスクピレネー山脈を挟んでフランスとスペインにまたがるが、ザビエルはスペイン側のナバラ国の生まれだ。父親はナバラ国の宰相で城持ちであったが、ザビエルの幼い頃に亡くなった。かの地には今もザビエル城があり、一行は城管理の修道士に歓待された。

 が、司馬さんの興味はザビエルはもちろんだが、「バスク」という独自な文化にも向けられていく。 「バスク地方」、「バスク人」「バスク語」というのは、特異な地域であり、民族であり、言語であるらしい。太古からかの地に住み、独自の言語を持ち、独自の文化を築いてきた人々。大まかにスペインの一部と考えていたのは、間違いであった。フランコ政権での抑圧を経て、現在はスペイン内では地方自治権が与えられ、バスク自治州となっているらしい。推定人口はフランス側も含めると300万人で南米大陸への移住者も10万人ほどあるという。司馬さんはバスク語の普及に力を尽くすバスク人バスクの大統領に会うが、残念ながら彼らの思うように歴史は進んではいないようだ。バスク語を話せる人は今は10万人ほど。この本の当時は60万人と言われていたから普及どころか減少が甚だしい。

 ふと日本語の中の「アイヌ語」はどうかと思った。固有の文化や言語があるのはバスクと同じだが、如何せん絶対数が少なすぎる。調べると今は13118人(平成29年)、言語を使いこなせる人は更に少ないのではないか。

 言語は文化であり、言語が廃れれば文化も消えていく。「生産と流通、さらに政治の変貌という歴史そのものがこの狭域世界の言語を亡ぼした」と司馬さんは言う。グローバル化して、今やどこもが広域語を取得することこそが第一。この国でも小学生からの英語教育に熱心で、方言は廃れ、日本語教育は脇におかれつつある。

  「ザビエルの手」という信仰対象があるのを知った。仏教の「仏舎利」のようなものかもしれぬが、もっと生々しく実際にミイラ化した手のようだ。それだけでなく、ミイラ化したザビエルの遺骸も何年かに一度は公開されるという。

 

 

 

        はらからの健やかにして四月尽

 

 

  先日の訪問をかえりみて。大型連休が始まったが、年中日曜日のトシヨリには関係がない。ただこの休みの間に連れ合いの「傘寿のお祝い」を娘一家を含めて企画している。