日脚伸ぶ

オホーツク街道  街道をゆく38』 司馬 遼太郎著

 歴史書で森浩一さんの文章を拾い読みしていたら、司馬さんの話が出てきた。司馬さんの『街道をゆく』シリーズに触れて、最晩年の『オホーツク街道』が膨大な『街道をゆく』シリーズの中でも最高傑作ではないか、と人も言うし、自分もそう思うと書いておられた。

 『オホーツク街道』は昔読んだ覚えがあるが、すっかり忘れていたので、再読をおもいたった。三十年前の本である。読むと司馬さんの豊かな知識とわかりやすい筆致にぐんぐんと惹き込まれて、久しぶりに充実した読後感を味わった。

 大筋でオホーツク海沿岸に栄えたオホーツク文化の痕跡を尋ねる話である。オホーツク文化というのは、(以下ウィキペディアによる)「3世紀から13世紀にオホーツク海沿岸を中心に栄えた海洋漁猟民族の文化」で、司馬さんの関心の的はその文化を担った人々のことである。アイヌの人々ともちがい、恐らく北方から海流に乗り、獲物を求めて渡ってきたと思われる人々。アイヌとも混じり、和人とも混じった少数北方民族(ニブヒやウイルタ)、どうもニブヒ(ギリヤーク)のようだが、確かではない。司馬さん自身は彼らを『日本書紀』にも出てくる「みしはせ」に同定したいようだ。『日本書紀』には659年阿倍比羅夫が「みしはせ」を討ったという記録がある。いずれにしろ大陸の奥地に本拠地を持ち、はるばる樺太を経て北海道までやってきた人々。優れた漁猟用の道具を持ち、海獣を獲る達人だったにちがいない。定住もし、日本人の血にかすかな痕跡を残した人々である。

 オホーツク文化の遺跡としては「モヨロ貝塚」や「常呂遺跡」があるが、いずれも民間人の発見で、彼らの私欲を超えた熱情が、発掘や研究を推し進めたという話も興味深いかった。今は、検索で現地の写真も見られる。

 

 まもなく司馬さんの「菜の花忌」だ。今年は司馬遼太郎生誕百年だという。最近は読まれないらしいが、司馬さんの『街道をゆく』は名著だっと思う。読めばふつふつと学習意欲が湧く。

 

 

       夕支度せむとて立てり日脚伸ぶ

 

 

 

 今月末は母の祥月命日である。永代供養をお願いしてあるお寺から葉書が来て、「五十回忌のお勤めをします」とあった。いい加減な娘で、今までの案内には出ないことが多かったが、「五十回忌」では行かねばなるまい。母の享年を遥かに超えてしまった。