秋の暮

街道をゆく 耽羅紀行』 司馬 遼太郎著

 耽羅とは、済州島の古名である。済州島について読んでみたいと思ったのは、先に朴沙羅さんの『家の歴史を書く』を読んだからである。そこでいくらか知ったが、済州島の歴史や風土に興味ができたからだ。しかし、司馬さんは慎重な人である。隣国の負の歴史ともいうべき悲劇については、あえて避けられた。ゆえにこの紀行文は、沙羅さんの一家の歴史がうまれた騒乱については、全くというほど触れてはいない。

 済州島というのは、漢拏山(死火山)という火山が造った火山島だ。見事な裾野をひいた火山が島の中央にある。朝鮮半島と日本列島のほぼ中間点で、暖流に囲まれ穏やかな気候で、広さは香川県ほど、現在では韓国のハワイとして人気があるらしい。

 司馬さんの訪問は、何しろ半世紀も前の話で、観光地になった今とは随分違うだろうと思う。彼の韓国文化や人々に関する認識も、大きく変化したかもしれない。それでもウエブで済州島の観光案内を見ながら読むと、大まかな風土の様子はわかる。そう思いながら司馬さんらしい認識や知見を堪能した。

 耽羅は、『古事記』や『日本書紀』にも出てくる。田道間守(たじまもり)という人が「ときじくのかぐのこのみ」を求めて渡った島であり、かの地の建国の三神人の妻は日本人というくらい、わが国には近しい島のようだ。

 

 

 

         鴉みな帰るとこあり秋の暮

 

 

 

夕方の空に鴉が三々五々集まっては、みな同じ方向を目指して飛んでいきます。おそらくねぐらを目指すのでしょう。どこから湧いてくるかというほど、ひとしきり続きます。正面の遥かな山は伊吹山です。