名月

『千年 あの夏』 阿部 昭著

 Tの未読の本棚にあったから出してきたが始めて読む作家の本である。表題作の「千年」や「あの夏」などの短篇とやや長い「父と子の夜」が収められている。

 どれも思ったより読ませられたが「父と子の夜」が一番良かった。

筆者は三十代の後半、三人の男の子の父親だが親として確固たる信念があるわけではない。出来が悪かったりこずるかったりする子どもに手をあげることもできない。そんな自分を自虐的に観察しながら自分と自分の父親のことを思う。

 彼の父は戦時中は海軍の軍人だったが敗戦後は気力を失ったように何もせずにぼんやりと生きた人だった。その無気力な生き方を馬鹿にしていたが、兄の突然な死に男泣きをする姿を見て驚かされる。

 「うれしいじゃないか・・・うれしいじゃないか・・・」と繰り返しながら男泣きする父の姿は障害のある息子を三十年も抱えてきてやっとホッとした、これで後顧の憂いなく死ねるという親として愛情と気がかりからの解放の安堵の涙だったかと今になって思うのだ。

 「彼はうまく父親になりおおせたのか?彼はあんなにあなどっていたあの父ほどの自信も気概もなしにただ父親のような顔をしているだけではないのか?」

 「ずるいから嫌いなんだ!」と生意気な口をきく息子についに手を挙げながら、「親がずるいものなら、子供だってずるいものなのだ。そのことがいまにお前たちにもわかる時がくるんだ。ずるい同士が親と子っていうものなんだということが・・・」

 こんなやりかたで息子たちを引っ張っていこうとする自分がじつに滑稽だと思いながら、しかし、とうとう殴ってやってよかったとも思うのだった。

 

 

  いつの時代でも親になるのはたいへんなことで子育てというのも難しいものだとつくづく思う。思い返しては忸怩たる思いがあるのが普通ではないかと、子育てを卒業した親のひとりとしてそう思って納得したい。

 

 

 

 

 

    名月や杉に更けたる東大寺   夏目 漱石

 

 

 

 

 

千年・あの夏 (講談社文芸文庫)

千年・あの夏 (講談社文芸文庫)