『作家の老い方』 草思社
小説家、詩人、歌人、俳人、評論家などなど人生の先達たちの「老い」に関する文章を集めたものだ。
心に残った歌がある。
冬茜褪せて澄みゆく水浅黄 老いの寒さは唇(くち)に乗するな 齋藤 史
このアンソロジーのなかで二度も出てきた歌である。
ひとつは山田太一さんのエッセイ、彼は座右の銘のようにこの歌を掲げて、ときどき老いのボヤキを反省されているらしい。
もうひとつは中村稔さんのエッセイ、俳人と歌人と詩人の老いの作品を比べての話だ。齋藤史さんの作品には、「心身の衰えを嘆いた作」も「自己を憐愍する作」も見出すことはないと感動しておられる。史さん九十歳という年齢においておやである。
高齢といえば谷川俊太郎さんも又然り。ここにも作品「明日が」が引かれているが、
老いが身についてきて
しげしげと庭を見るようになった
芽吹いた若葉が尊い
野鳥のカップルが微笑ましい
亡父の代から住んでいる家
もとは樹木だった柱
錆びた釘ももとは鉱石
どんな人為も自然のうち
何もしない何も考えない
そんな芸当ができるようになった
明日がひたひたと近づいてくる
転ばないように立ち上がり
能楽の時間を歩み始める
夢のようにしなう杖に縋って
九十歳を過ぎても、何としなやかで若々しいユーモアのある感性だろうか。
凡人としては、山田さんではないが、史さんの厳しさを頭に、時にはボヤキ、ゆったりと能楽の時間を歩みたいものだ。
アスファルト過る蜥蜴の速さかな
焼けきったアスファルト道を蜥蜴が横断する。右から左、あっという間に草むらに飛び込んだ。