夏休み

『いまだ人生を語らず』 四方田 犬彦著

 『月島物語』以来、著者は私には縁遠い人である。Tからすごい天才だと聞かされていた。何でも高校に入学した年の春休み、三年間の数学を一気に仕上げ、後は何もしなかったというのである。それだけで、数学に振り回された凡人には敬遠しがちな天才であるし、やや鼻につく自信家でもある。

 さて、この本だが、その四方田氏も古希を迎えられたらしい。老人のとば口に立って、心に浮かぶいくつかの命題について今の想いを纏められたもののようだ。

 惹かれる文章もあったし、理解し難いところもあった。「もう一度行きたい、外国の街角」のように、軽い気分で読みとばせる章もあった。

 ここでは「死について」という章の一部を書き留めておきたい。

 四方田氏は、「死は生に結論を与えるものではなく、たかだか生の途上に生じる偶然の事件ではないか。」という。その意味で死は、自然の摂理であり、誰もその意味を見極めることなどできない。時間の流れの外にでることであり、本来生まれてきた場所に戻っていくだけのことだ。生きるというのはから未来へと直線的な時間の流れに身をゆだねることだが、時間の認識を替えることで、「死が携えてきた物語を切り替えることはできる」。直線的な時間に対する季節季節と移り変わる循環的時間、冬が来れば、春となり、咲いた花は散って、また芽吹く。「生はいつまでも繰り返しの途上にあり、始めも目的もさだかでないまま、あるとき偶発的に終わりを告げる」と。

 長々と紹介したが、これは魅力的な「死生観」であった。実際何ら大志も持たず、地べたに足をつけ、季節と共に暮らす田舎者の生涯は、まさにそれであるし、それで何の不満もない。

 

 

 連日これだけ暑いと、半日は冷房に閉じこもるしかない。先週はちょっと草引きに奮闘しすぎて発熱。家族からは言わんこっちゃないと、叱られた。

 「なでしこ」の活躍に喝采、「藤浪くんの活躍」にも小さな拍手。旧友は兎にも角にも「大谷くん」というのだが、当方は藤浪くんの応援。どこがいいと馬鹿にされるから、黙って応援。移籍しても順調のようでまずまずだ。

 

 

           体操へ急ぐ足音夏休み