稲の秋

吉備の旅

一日目

 全国旅行支援を利用させてもらい、かねてから行きたかった岡山県を訪問する。四国や山陰への乗り換えターミナルである岡山は、何度も通り過ぎたことはあるが、訪問自体はほぼ初めて。60年前の修学旅行以来である

 岐阜羽島駅から新幹線で1時間半、京都での乗り換えを含めても案外近い。駅前でレンタカーを借りて、まずは有名な大名庭園の「後楽園」へ。ここの大名庭園は芝の美しさを前面にした広々とした空間が売り物。爽やかに晴れ渡った空の青さと相まって気持ちがいい。それこそ60年前、級友たちと笑い転げながら歩いたことを思い出す。箸が転げても可笑しい乙女の頃である。

 

 昼は岡山名物だという「デミかつ丼」なるもの。味噌カツならぬデミグラスソースのかかったカツ丼である。当方は「孫かつ」という二分の一量のものを注文。味噌にちかい濃厚なソースでおいしかった。

 午後はいにしえの吉備の中心地へ。

 まずは吉備津神社。桃太郎にも見立てられているキビツヒコを祀る神社である。以前ブラタモリでも放映された。キビツヒコの鬼(温羅)退治の話を伝える。古代の吉備については詳しくないが、恐らく大和朝廷の吉備地方平定の話が、もとにあるにちがいない。桃太郎と結びつけて語られるようになったのは意外と最近、昭和5年に出された本でと、以前新聞で読んだ。室町期に造られた本殿が国宝。「比翼入母屋造り」という不思議な様式である。

 次は「備中国分寺」田園風景の中にそびえる五重塔が絵になる。聖武天皇発願の国分寺であるが、今は別の寺になっており、五重塔は江戸時代後半に再建されたものだ。近くに国分尼寺跡もあるというが、寄らず。造山古墳も遠望だけですます。

 最後は「楯築遺跡」2世紀末の弥生時代最大の墳墓丘。双方中円形墳丘墓だが、住宅地の中で突出部などははっきりしない。墳丘上に5個の巨石がある。おそらく古墳時代以前のこの地方の首長の墓にちがいない。墳丘上の神社の御神体が伝世され収蔵庫で保管されている。「弧帯文石」といわれ、同心円ふうの模様が刻まれている。収蔵庫の明り取りの窓から一部が覗ける。よっこいしょと石垣に上り、覗いたのはもちろんである。

 晴れたのはありがたいのだが、外歩きには案外に暑かった。約15000歩、連れ合いが熱中症らしき症状でダウン、おばばは執念で廻りきった。

 

 

 

         はればれと塔の青空稲の秋

 

 

 

 二日目

 ありがたいことに晴天続きである。トシヨリだからと無理をせずに9時半ごろまでホテルに。10時少し過ぎの山陽線普通列車で倉敷へ。

倉敷駅

 倉敷は初めてである。今日の目玉は「大原美術館」の鑑賞。当方は身障者手帳で無料という恩恵に預かる。修学旅行生の集団と一緒だと思ったが、館内は混雑なく、静かに鑑賞できる。著名な画家の著名な作品が多くて驚く。最も欲しいと思ったのはセガンティーニの「アルプスの真昼」で、もう少し若ければ印刷画でも買って帰りたいと思ったほどだ。児島虎次郎の「朝顔」などの女性と植物を描いた何品かも、とても魅了された。幸福感の溢れた作品だと思った。むろんかの有名なエル・グレコの「受胎告知」もあった。

 

 

         木犀に出迎えられて美術館

 

 

 

有鱗荘

 美術館と同時に公開中の大原家別邸「有鱗荘」も見学。和洋折衷、釉薬のかかった瓦葺きでまさに「鱗」が輝くばかりである。中でマチスの展示会が開かれていた。

 この後近くの「手打ちそば石泉」で、今年初めての新蕎麦で昼食。

 

    新蕎麦と勧め上手な女将(おかみ)かな

 

 

 午後は倉敷川沿いの「倉敷考古館」へ。昔の米蔵を改造した建物らしいが、なまこ壁がしろじろと美しい。考古学など興味のある人は少なく、川沿いは人は溢れているのに来館者はうちだけだ。吉備地方の旧石器から古墳時代までの発掘品がたくさん収蔵されている。備前焼の歴史を感じさせるような見事な大瓶や壺もある。

 少しだけ町歩き。かって倉敷は天領であり、豊かな商品経済が発達した土地であったことを痛感する。倉敷を3時過ぎに出発して岡山に戻る。約7000歩、トシヨリには長い町歩きは限界である。帰りの新幹線予約を夕方にして失敗。駅の待合室で無駄な時間を過ごす。思わぬアクシデントがあったが、まずまずの旅であった。連れ合いともこの歳にして、後何回出かけられるか、帰りの話題はもっぱらそんなところ。

追記 障害を持ってから今回旅をして感じたこと。手帳の恩恵があるということ。多目的トイレがが充実してきたということ。そういう意味ではこの国もかなり変わってきたと思う。