春疾風

『北園町九十三番地 天野忠さんのこと』 山田 稔著

 天野さんのことは、山田さんの著書を通して知った。お二人のお付き合いはさぞかし長年にわたるものであろうと思い込んでいた。ところが、さにあらず。この本によれば親身なおついあいは天野さんの晩年、わずか十二年間なのだ。「そんなことどうでもよろしいやおへんか」と天野さんに皮肉めいた口調でしかられそうだが、読後ともかくそれが意外であった。

 若い頃、お二人とも奈良女子大にお勤めで、接点はあったが、挨拶を交わす程度だったらしい。年齢差が二十歳もあり、当然と言えば当然。若いうちから年寄りじみた雰囲気だったという天野さんには、まだ若かった山田さんにしてみれば、敷居が高かったわけだ。

 それが天野さんの「読売文学賞」受賞がきっかけで、おつきあいが始まった。近くの高名な詩人がかつての知り合いだと驚いた山田さんが、懐旧の思いにかられて葉書を書いたのである。

 それからの十二年間、山田さんは何度か天野邸を訪問する。たいていは編集工房ノアの涸沢さんにくっつくようにして。好きな小説から映画と二人を相手にもっぱら話し役は天野さんだった。

 詩を挟んで語られる天野像はなかなか辛辣で博識で手厳しい。単なるいけずとはちがうのだが、皮肉めいてはいるが真理をつき、茶化しているが真実を語るといったところか。さすがの山田さんもお一人で訪問、お相手という勇気はもてなかったらしい。

 天野さんは晩年四年間、手術の造影剤の副作用で下肢不随となられ八十四歳で逝去された。慎ましい暮らしを維持し、生涯一詩人の矜持に生きられた一生だったようだ。

 天野さんの詩集は一冊だけ読んだことがあるが、ちょっと毒のある味わいがなんともいい。随筆集も山田さん選のものを読んだが、さらにあるというのでできればそれも読んでみたい。山田さんもすでに卒寿を超えられたのではないか。老いたら潔く筆を捨てるべきだと説かれた天野さんの言葉に習ってか、近頃は山田さんの文章にも会えなくなった。

 戦争の始まりというものは、嘘の言いがかりから始まるものだと実感。暗いニュースと裏腹に、少しだけ春の兆しが感じられてきた。明日はやっとワクチンの三回目。

 

 

 

         自転車の少女の頬や春疾風