夏出水

『女たちの壬申の乱』 水谷 千秋著

 壬申の乱についての著書はいろいろあるが、この本はこの乱に巻き込まれた女性たちに特化した一冊である。書記や万葉集を史料にして、筆者自身の新しい知見もあり、興味深い内容であった。

 多くの女性たちの中でも、一番の対象者は大海人皇子天武天皇)の皇后であったう野皇女(持統天皇)であろう。彼女は近江から吉野脱出へと夫に従い、戦いの渦中に身を投じた。父の成した政権を倒し、父の葬儀にも出なかった。夫と共に新政権の樹立に力を尽くし、夫亡き後は息子のために姉の子(大津皇子)をも誅した。そこまでした息子に先立たれた後は、自ら即位、天皇になり、さまざまな制度をものにした。。確固たる意志と冷厳な頭脳をもった女性であったようだ。

 以上はよく知られた事だが、、この本で新たに知ったことのひとつは、彼女の忍壁皇子に対する扱いである。忍壁皇子天武天皇の皇子の一人で、父の覚えはめでく、天皇在命中は重要な局面で用いられていたが、持統期になるとぱったりと出番がなくなった。これは彼の母かじひめの娘が、もっとも天武の寵愛を受けていたためではないかと筆者は推察する。げに侮れぬ女性のこころの闇である。

 額田王の話も出てくる。彼女が若い頃、大海人皇子と結ばれ、のちに天智天皇に仕えたことから、この愛憎のもつれが乱の発端にあったのではないかと推理されたこともあった。しかし、筆者はそれは否定する。なんといってもすでに三人は中年、大海人皇子額田王の娘十市皇女は、一方の当事者大友皇子の妻でもあった。万葉集に残された歌からは、歌人として近江朝に仕えた額田王は、天智天皇の葬儀に参列、その後娘や孫と共々大和に帰っている。初期の万葉集に人磨呂とともに多くの歌が入っていることから、歌集編纂作業に何らかの役割を果たしたのではないかと筆者は推察する。

 悲劇的であったと思われるのは天智天皇の皇后倭姫王や妃であった遠智娘(持統天皇母)や姪娘(元明天皇母)である。皇后でもあり、天皇母である彼女らだが、没年も墓も不明だという。恐らく焼け落ちた大津の宮殿とともに亡くなったのではないか。いつの時代でも敗者側となった女性たちは時代の波に飲まれていったことだ。

 

 猛暑の後は、戻り梅雨のような天気である。幸いにも台風は温帯低気圧になったというが、雨雲はまだ厚い。

 昨日旧友より電話あり。この暑さで出かけるなんて気が知れない。全く「デベソやね」と呆れられてしまった。留守の間に太くなったキュウリが15本。大量のインゲンやらナスやらミニトマト。これらに頭が痛い。

 

 

 

         水草に芥とどめて夏出水

 

 

 

 ミヤマタニソバ(下の草花とも、旅の渓流沿いでみかけたもの。面白い葉です。)

ホタルブクロ