時雨

『入り江の幻影』  辺見 庸著

 旧友に薦められて読んだ。エッセイとフィクション、重い内容だ。

 去年、タモリさんが「2023年を新しい戦前」と捉えたという話を聞いた時、さすがタモリさんだと感心もし納得もした。著者はそれに触れて、今の覚束ない時代をこのように書いている。

「戦前というからにはこれからが戦争である。それは『便所の蝿のやうなものでも知っている(尾形亀之助)』のだ。恐らく、もう手遅れである。」

ロシアの侵攻に触発されるように安全保障上の懸念という考えはあたりまえになって、今や9条の理念は風前の灯だ。

「平和は一瞬である。その一瞬がいまなのだと思う。」

上記の文章が上梓されたのは、今年の六月。十月にはさらに新しい火種が勃発した。ウクライナのニュースは影が薄くなったが、終わったわけではなく、代わりにイスラエルの暴挙が毎日毎日報道される。

 誇りある「1969」マークのある帽子を被った筆者が、(1969年は大学闘争の年、国際反戦デーの年)よろよろと老健リハビリに通い、集団遊戯を促されているのが、また今のトシヨリの本当の姿。

 お遅かれ早かれトシヨリは「つかの間の平和」のうちにサヨナラできるかもしれぬ。が、トシヨリ以外は「手遅れ」ではすまぬ。「ごめんなさいね、何にもできなかったわ」って私なんかは言うしかないか。

 

 重い暗い本を読み終えて、「さあ今日の夕飯は」とオバアは思う。酷く冷え込むから温かい鍋にするか。・・・・      「戦前」という恐れは、かくも簡単に消えてしまうのだ。

 

 脚本家の山田太一さんが亡くなった。山田さんと倉本さん、向田さんは好きな脚本家だった。U-NEXTで検索したら、古い作品がいくつか観られることが判明。昨日は軽いものをと、TBSの『あなたが大好き』を観る。田中邦衛真田広之が父子を演じる1988年のホームドラマ。懐かしい俳優さんばかりだが、今の人よりよく知った顔ばかりだ。

 また、編み物を始めた。前回編んで入る時、最後にしようと思っていたのだが、さみしくてまた毛糸を買ってしまった。今度編み上がるのは来年か再来年か。まだ元気なつもりでいるらしい。

 

 

       しぐるるや飛騨より雲の流れ来て