『人間晩年図巻 1995−99年』 関川 夏央著
web岩波での連載を愛読している。ネットは2000年以降の物故者について(それも中途から)でそれ以前のものも読みたいと図書館で借りてきてもらった。関川さんの語り口は好きなので久しぶりに楽しむ。ハードボイルドの手法というのはどういうものか。よくはわからないのだが「感情を交えず、客観的な態度・文体で事実を描写する手法」(広辞苑)というならまさにこの本の筆致はそうにちがいない。取り上げた人物の生涯を俯瞰し、華々しかった時も苦境の日々も赤裸々に俎上に載せられてはいる。が、筆者自身の感想はせいぜい擱筆の一、二行だけ。だからこそ読んだ者が人の一生の儚さを思い、誰にでもいつかは訪れる「死」についてしみじみと考えさせられるのだ。
1995年は阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の年、1999年までの5年間は不況の只中で不良債権問題化、ホームレス急増、リストラによる中高年の自殺の急増と年表には碌なことが書かれていない。
この間の物故者で取り上げているのは36名。著者の好みなのか衆知の人ということなのか映画や演芸関係者が多い。例えば寅さん(渥美清さん)や萬屋錦之助さん・勝新太郎さん・三船敏郎さんなどなど。寅さんを除いてみんな華々しかったわりには哀しい晩年であったし若い(今の私と比べれば)享年であった。
ダイアナ妃の亡くなった当日のことははっきりと覚えている。その日は日曜日で句会があった。主宰が席に着かれるなり「ダイアナさんが亡くなったよ。運転中にラジオで聞いたよ」とおっしゃったのだ。「へぇ」とか「はぁ」とか声にならないため息が会場にひろがったことを思い出す。
司馬遼太郎さんも藤沢周平さんも江藤淳さんもこの間に亡くなられた。先の二人に比べて「自死」という選択をとった江藤さんについては、珍しく同情的に筆者はこう書いている。
「妻であり友であり、そして母でさえあった慶子夫人を失って生きる気力を喪失した初老の男の背中に最後のひと押しを加えたのは、まさに天の悪意であった。」と
彼が自死した夕方は、電車も一時運休となるほどの時成らぬ激しい豪雨にみまわれたらしい。
そうそう玉緒さんが新太郎さんのお棺に五百万円を入れて灰にしたという話にはおったまげた。夫の「『映画スター』という豪放磊落な役をまっとうさせるために五百万円を灰にした」と筆者は書いている。
「梅雨入り」して三日目。降り続く雨にいささかうんざり。ごろごろしていて運動量も少ない。昨日は娘一家が来てちょっと気が晴れた。
梔子や古墳横切るはしょり道
- 作者:関川 夏央
- 発売日: 2016/06/29
- メディア: 単行本