『おやじはニーチェ』 高橋 秀実著
認知症は、長生きすれば、だれにも出てくる症状らしい。(80代後半では41・1%、90代では61%)それでいて有効な特効薬もなく、治療法もない。確立された予防方法もないから、なるかならないかは宝クジのようなものかもしれない。なったらなったときさとTは言うが、なって世話をかけたくはない。
いろいろな認知症例を読んできた。加えて最近映画も観た。(『ファーザー』2020年イギリス・フランス合作)見当識の障害は映画のファーザーも、本のお父さんも一緒だ。映画に比べて、この本のお父さんの症例は、明るいのがいい。いや、明るく描かれているというべきか。
息子は時には兄貴になり、社長になり、父親にされ、お母さんとも呼ばれる。そのやり取りが全くおもしろいのだが、間違いを頭から叱ったり嘆いたりしないところが、当事者にはいいのかもしれない。一方、筆者も問題行動を哲学的に考察、客観視することで深刻な状況に耐えておられる。
一番身近な妻を亡くしたことがわからないのが切ない。スーパーの店頭で、妻を待って呆然と立ち尽くしたり、毎夜二人分の布団を敷いたりするというエピソードには、しんみりさせられる。なぜ妻の死がわからないのか、それだけ二人は未分化な存在だったといわれれば、それは慰みだ。
客観視すれば、老いはどうみても滑稽だ。ダメだ、変だと自分で笑い話にできるうちは、そうしよう。それを超えたら、今度は筆者のように周りが笑ってくれたら一番。
6回めのワクチンをどうするか迷っていたが、じわじわと感染が拡大しているらしく、結局受けることにした。前回の接種から8ヶ月空いた。やはりオミクロン対応型だ。
梔子の香をふくみたり夜の風
一重の梔子に続いて八重の梔子