草を焼く

『人物で学ぶ日本古代史 2』 新古代史の会[編]

 既読「古墳・飛鳥時代編」に続く「奈良時代編」である。著名なところでは、藤原不比等から光仁天皇まで、奈良時代の「歴史をつくりあげてきた人びと」が取り上げられている。

 それらの人はおおよそ知るところで、それほど興味はもてなかったが、「山上憶良」だけはもう少し知りたいと思った。学識が高く、仏教思想への造詣も深いことから、学僧として研鑽後に還俗した可能性も指摘されている。以前は帰化人とみる説もあったが、今は支持されないとのこと。万葉学者の方の本もあるので、さらに読んでみようと思う。

 さて、「笠麻呂」という八世紀初頭、美濃の地方官として活躍した人物がいた。美濃守になったのは、707年。不破関の整備や吉蘇路(きそじ)の開通など功績が記録されている。元正天皇の美濃行幸もすすめ、天皇が霊泉「養老の滝」に出会い元号を『養老」と改めたのは有名な話だ。

 「美濃」と墨書した須恵器があるが、これも国名を宣伝するための彼の発案ではないかと言われる。

 麻呂は元明太上天皇の不予を契機に出家して、満誓(まんせい)と名乗るが、僧となっても重用され、筑前観世音寺の造営に携わり、例の天平二年の「梅花の宴」にも参加した。

 さらにこの本には、当時の奴婢、池麻呂(容姿が端正とある)やら、地方から出て高位にまで上り詰めた女官伊福吉部徳足や飯高諸高なる女性も出てくる。奴婢として売り買いされたのはどういう人たちだったのか、歴史に埋もれてしまったそういう人の話の方が、いろいろ想像を掻き立てられて興味が湧くものだ。

 

 

       夜からの雨を見越して草を焼く

 

 

 

 今日はやや風も強く寒い感じだが、真冬のようなことはない。今頃になって編み物を始めた。鬼が笑う来年用である。