春疾風

講演会「木曽川・前渡の戦い」を聴く  講師 丸山幸太郎氏

 当地は「承久の乱」の激戦地である。大豆渡(まめど 現在地名は前渡)の地に、木曽川を挟んで上皇側一万、幕府側は泰時、義村の主力部隊が対峙した。ところが、去年の大河ドラマではナレーションの説明だけ、合戦場面はスルーで、地元民としては残念なことひとかたならず。講演会は、もう少し詳しい状況をという思いに応えたものにちがいない。

 合戦になった訳から、合戦の状況、乱後の処置、意義評価、などが話された。おおむねは既知のことが多かったが、初めて知ったこともある。

 まず、朝廷方に、美濃や尾張の武士が動員されたということである。著名なところでは美濃源氏の土岐光行がある。

 戦いは6月6日早朝に始まり、一日で終結した。幕府側の圧倒的勝利で、朝廷側は逃げ帰ったという。

 市の川沿いの寺には近年堀出された五輪塔が何基もあるが、「三浦塚」と呼ばれたものもあり、三浦胤義(義村の弟、朝廷側につく)関連であろうか。

 乱後の処置として後鳥羽院隠岐への流罪はもとより、順徳天皇佐渡土御門上皇は淡路へ、仲恭天皇は廃位というきびしいものであった。斬首された貴族のひとり一条信能は、美濃岩村で処刑され神社に祀られた。

 木曽川沿いの当地は古来より合戦の地とされることが多かったのは、東西勢力の中間地点であり、浅瀬をふくむ広い河川敷が合戦に好都合であったからのようだ。古地図を見ると、山間から抜け出した木曽川は、幾筋にも枝分かれして、大きくひろがっている。中にぽっんとある小山は、物見台としても好都合だったという。

 

 昨日の講演会は圧倒的に男性多し。女性は数えるぼど。

 

 

      白銀の伊吹は雄雄(おお)し春疾風

 

 

 台風のような風が吹き荒れて、高架道路から見渡す伊吹から奥美濃の雪嶺が見事だった。来週は暖かくなるというので期待したい。もう寒いのはうんざり。陽気がよくなったらと、遊びにゆくことばかりを考えている。

クリスマスローズ