秋夕焼

「奇跡の戸籍『半布里戸籍』〜古代戸籍を紐解く〜」を聴く

       島田宗正氏(富加町教育委員会 文化財専門官)の講演

 

 昨日、市の歴史研究会主催で開かれた講演会に出かける。正倉院にある現存最古の戸籍、半布里(はふり)戸籍についての話である。

 半布里戸籍は現在の岐阜県富加町に比定される地域の八世紀初め702年に作られた戸籍である。つまり大宝律令の戸令に基づき作られたもので、現存するのは全国で12通しかないと言われ、内7通が美濃国半布里のものである。

 記載されているのは54戸1119人。家族関係や親戚等も推察できる。姓から見ると、「秦」姓が453人で全体の4割、苗字からみるに渡来系の人々と思われ、残りは在地系の人々らしく、県主(あがたぬし)・物部・牟義氏などだという

 人口構成は現在と比べると若年層の比率が高く、老人は少ない。統計的研究によれば平均余命は、男が32歳ぐらい、女は28歳ぐらい。だが驚くことに最高齢で93歳の女性がいる。いつの時代でも芯から丈夫な人はいるものらしい。

 この貴重な戸籍がどのようにして残ったか。これは全く「奇跡的偶然」が重なったということだ。藤原宮と平城宮で公文書として30年保存されたあと、古紙として東大寺に払い下げられ、裏面が物品支払帳としてリユース使用された。その後、東大寺関係文書として正倉院に保管され、幕末になって初めて見出された。つまり1000年以上の眠りから覚めたわけだ。

 講師の話は、さらに戸籍に記載された人物名を平城京出土の木簡に見つけ、「衛士」として働いたらしい彼に係る話まで膨らましてくださった。8世紀初め、彼等は美濃の山奥から都に呼び出され、「何を思いどう生きたのか」。

 二時間弱の話であったがとても興味深く聞かせていただいた。富加町の郷土資料館には複製の戸籍があるというので、また機会があれば見学したい。

 

 

 

 

        伊吹嶺の背中焦がして秋夕焼

 

 

 

 

遥か正面に見えるのが伊吹山