秋冷

うちの市が将軍家の米を作っていた

 講演『徳川将軍が食した御膳籾と美濃国の地域社会ー各務ヶ原市域を中心に 

                      望月良親氏』

 日曜日の午前中連れ合いと講演会に出かける。表題にもあるとおり、なかなか興味深い話だ。

 御膳籾とは江戸時代将軍や大奥の女性たちが食した米のことで、それらがなんと美濃の天領で生産されていたというのである。うちの市は江戸時代には四つの領主支配に分かれており(旗本領が二件、尾張藩領、天領)、御膳籾を栽培していたのは、この内の天領である。古い確実な史料としては、元禄7年のものがあり、それによれば村ごとに請負、桑名まで木曽川を舟で下り桑名から船で江戸に出していたらしい。初期の頃は請け負う量も少なく、大きな問題はなかったが、厳しい規制などで徐々に問題が出てきた。作付の銘柄(ちこ弥六)は決まっていたし、下肥などの使用は禁止、当然ながら品質の良いものだけという厳しさで、農民たちからは何回も嘆願書が出されている。一方幕府領であり、御膳籾を納入しているという実績と矜持が伝家の宝刀とのように使われたこともあったようだ。

 ところで、美濃国がなぜ御膳籾の生産地に選ばれたのか。それはまだまだ研究途中で詳しいことはわからないらしい。が、天領の地域は水利もよく災害も少なく、安定的に収穫ができるからではなかったかと推測されている。

 わが家の辺りは旗本領であり、また当地は極めて小さな村であった。昔の村ごとの収穫量を見ても際立って少ないので貧乏村だったことがわかる。学問をしたかったが諦めたという父や伯父たちの話を思い出す。それに比べて隣村には立派な門建ちの家が今も残る。百姓といってもいろいろだったようだ。

 

          秋冷や日向に移す発芽鉢

 

 

 いい天気で講演のあった図書館周辺はイベントで賑わっていた。ついでに今日は「ホロヴィッツ」のミステリー二冊を借りた。