卒業期

死の壁』  養老 孟司著

 壁シリーズというのは6編もあるらしい。総計660万部突発とうたってあるので、売れに売れているということか。一冊も読んだことがなかったが、Tの古本屋の均一本、積読棚にあったので引き出してくる。あとがきを読むと、このシリーズは養老さんの話を書籍化したものらしい。そのせいか、わかりやすい。養老さんの思いを大雑把に纏めたものといったらいいだろう。

「まる、ときどき養老先生」で、思いつきのように発せられた言葉の詳しい解説を聞いた感じだ。恬淡とした姿勢はいつも同じ。

 現代人は「死」を遠ざけてきたが、「死」は確実にくる。しかし、一人称の「死」(自分の死)はわからないのだから問題はない。辛いのは二人称の「死」。「死」は理不尽だが、奇貨として受け止めるのが生きている者のつとめ。

 生死の境界はあいまいだ。代謝のちいさなサイクルのシステムの集合体が身体。このシステムには安定性と可変性がある。日々変化しているのが身体。脳や心臓などのおおきなサイクルが止まった時をとりあえず「死」と決めているにすぎない。

 「死」は共同体からの仲間はずれ。「安楽死」は加害者側の医者の立場を考えていない。

 人間(自然)は壊したら元には戻せない。だから自殺にしろ殺人にしろ「死」に関することは簡単に考えないほうがいい。

 大雑把な纏めですが、こんなようなことだったと思う。

 

 暖かくなって「春本番」。隣の畑ではトラクターが唸りをあげているし、草引きに精を出しる人もいる。ヒヨドリが5・6羽来て、畑の小さな水瓶でかわりばんこに水浴びだ。初蝶が舞だし、紅梅は今にも咲きそうになってきた。

 ぼんやり見ながら、「はるよ来い」を聴き、カーペンターズを聴く。そして卒業歌のいくつか。遥かに遠くなった日々。

 

 

        教え子のゆくすゑを問ふ卒業期

 

 

 久しぶりに外で食事をしていたら、隣席に胸に造花を飾った式服らしき女性たち。今日は中学校の卒業式らしい。まだ入試があるが、ほっとひと息だろう。