秋深し

吉野・飛鳥・奈良紀行 2

キトラ古墳壁画公開の見学

 旅の前、ネットを渉猟していて「壁画公開」を知る。早速申し込み、旅の日程に加えた。

キトラ古墳「四神の館」

 「キトラ古墳」は「高松塚古墳」に続いて発見された7世紀末の壁画古墳である。艶やかな人物群の高松塚古墳が、外気に触れて黴が出てしまった教訓から、壁画への対処は実に慎重に行われた。今回ここの資料館で見たビデオや展示資料に、その大変な努力が伺われる。最終的に選択されたのは、壁画を描かれた漆喰壁ごと剥がすという方法で、剥がしたものを継ぎ合わせ保存処理したものが公開さているのだ。年4回実施され、今回は北壁玄武で比較的一番はっきりしているものだ。それでもガラス越しで暗い証明、オペラグラスは借りられるが、細部はわからない。警備員の監視中で時間を区切られての見学だった。

玄室内(復元模型)正面が北壁の玄武

 古墳一帯は、国立古墳公園に整備されており、昔を知るものにとっては驚くべき変貌だ。発見当時研究者の人に案内されて行った笹と灌木が生い茂った田舎の小山は、想像だに出来ない。六年前に訪れた時も思ったが、飛鳥は大きく変わった。大宇陀の農村風景に見た懐かしいような日本の原風景は、なくなった。どこもここも公園化して綺麗になったのだが、何かが違うような気もする。

二段築成の円墳のキトラ古墳。 被葬者は不明。

 

興福寺・北円堂開扉と国宝館

 奈良公園辺りはやはり混雑していた。鹿と戯れる人たちが、ほとんど日本語を話していないのは不思議な気持ちがする。ここに来るまでに昼餉をすましておくべきだったのに、失敗、お目当ての蕎麦屋は長蛇の列で、暑い中を昼を求めてよろよろ。結局スターバックスに入ったのだが、ここの列も外国語の人ばかりで、店員さんは英語で対応されている。

中金堂

 久しぶりの興福寺は、中金堂ができ(2018年落慶)国宝館が改修(2017)されていた。そして、今年は塔の五重塔の工事が始まったようだ。

 この時期、期間を区切って北円堂が開扉されているので、まずは北円堂へ。藤原不比等の追善供養のための建物で、奈良時代のものは失われて今の建物は鎌倉期のものらしい。それでも幾度も焼かれたこの寺では最も古い建物で、ご本尊弥勒菩薩像、四天王像、無著・世親菩薩像のすべてが国宝である。四天王像は平安期の作といわれるが、あとは運慶一門の「円熟の境地」による製作、ことに無著・世親の兄弟像が素晴らしい。精神性が深く現れたお像を見させていただくだけでも来た甲斐があったというものだ。幸い、喧騒はここには無縁だ。

北円堂

 

 

   秋深しまなざし遠き無著かな

 

 ここで帰ってもよかったのだが、久しぶりのこととて阿修羅像にも会って帰ろうということになる。国宝館は宗教施設でないせいか障害者割引がある。以前より洗練された展示方法で、堪能した。なんでも日本の国宝の17%は興福寺にあるということだ。外国の方は大仏がメインなのか、ここも案外静かだった。

 

 さて、これで二日の旅は終わり。二日目は7538歩で、これまた頑張った。後は疲れて熱がでないのを願うのみ。(幸い、今日の時点では大丈夫です。)

   (余談ですが、最近出かけると土地の味噌を買うことにしています。これがなかなか楽しい。土地土地の味噌は、ちがってどれも美味しいのです。)