明易し

芭蕉の風景 下』 小澤 實著

 いよいよ芭蕉の最晩年である。

元禄七年春、芭蕉五十一歳。最後となる春を江戸で過ごし、初夏、西を目指して旅立つ。同行は身辺の手助けをする少年次郎兵衛のみ。途中名古屋に足を止め、古い門人の荷兮らと歌仙を巻くが、どうもしっくりこない。かつて共に『冬の日』を巻いてから十年。芭蕉の新しい試み「かるみ」を彼は理解できなかった。実際に読んでいないので何とも言えないが、小澤さんによれば、この時の歌仙は雑でちぐはぐ、駄作だということだ。

 世を旅にしろかく小田の行戻り

「この世を旅に過ごしている私の生涯は、農夫が代掻きをして、田を行きつ戻りつしているのと、変わりません」(小澤訳)

 進んだと思ったら戻って、なかなかだなあと、忸怩たる思いで名古屋を立ったと思われる芭蕉だが、さらに悲しみが追いかける。若いころの内縁の妻ではないかと言われる寿貞の死である。

 数ならぬ身となおもひそ玉祭り

寿貞については諸説あるらしいが、句をよむかぎりではかけがいのない人であったのではないか。

 そして今回の旅の最終目的、大坂での弟子同志の対立の仲裁である。弟子の之道と酒堂は大坂での主導権を廻って対立していた。やや力不足ながら昔から大坂を拠点にしていた之道に対して、若さと才能で近江より進出した酒堂。芭蕉は酒堂の才能を愛しながらも、そこは何とか調停しようとするのだが・・・。

 此秋は何で年よる雲に鳥

「この秋はどうしてこんなに年をとった感じがするのか」(小澤訳)芭蕉の深い嘆きが聞こえるようだ。上五と中七に対して下五の取り合わせを、取り合わせの永い歴史での、最高峰ではないかと小澤さんは書いておられる。

 二人の諍いに疲れた芭蕉は急速に体力を消耗、旅先で五十一歳の生涯を閉じた。翁と称されるが、まだまだ若い行年であった。

 芭蕉の死によって小澤さんの大作も終わったが、長いにもかかわらず最後まで興味深く面白く読ませていただいた。知っているようで知らなかった芭蕉の名句の背景を知ることができたのが、なによりありがたかった。

 

 

 

           行年にわが年思ふ明易し

 

 

 

 昨日、炊飯器を買いに出かけたついでに冷蔵庫も買ってしまった。もう十八年使っているものでドアのパッキングが緩んできて気になっていた。すっかり縮んできた背では最上段は届きにくく、トシヨリむきにややコンパクトのものにという気もあった。「小さすぎたんじゃない」と言われたが、まあ大丈夫でしょう。前のはドアにいろいろ貼り付けていたが、今度のは前面はマグネットが効かない。多少省エネになるとは思う。長い間ごくろうさんと思い出写真を。