柿若葉

芭蕉の風景 下』 小澤 實著

  やっと下巻の三分の二あたりまで読了。

「おくのほそ道」から帰った芭蕉は、その後郷里伊賀や大津、京都と関西で暮らす。関西から江戸に帰って五十歳までの五年間、小澤さんはこの間を「上方漂白の頃」と名付けて一章とされている。

「行春を近江の人とをしみけり」

「木のもとに汁もなますも桜かな」

 芭蕉にとっては上方の親しい人々と交流、「かるみ」という新しい境地も見出した時期である。「かるみ」とは何か。「『かるみ』とは日常の世界を日常のことばを用いて、詠むこと」と小澤さん。古典主義を廃し、日常を詠む今の俳句に繋がる境地である。ところが、今にすれば当たり前のことだが、芭蕉の時代には弟子にもなかなか理解されなかった。それだけではない。過日読んだ櫂さんの本には、芭蕉自身のなかにも古典を脱しきれぬ自分との矛盾があったのではないかとの指摘があった。櫂さんは「古典と生きてきた人が古典を捨てる。身を引き裂くこの苦行が芭蕉を憔悴させ、死を早めたのではなかったか」とも書いておられた。その経緯については次の章にあるかもしれないが、この章の後半では芭蕉悩みの種の一方、酒堂が登場した。

 それにしても小澤さん、実にまめに芭蕉の句の故地を訪ねておられる。近江や京都だけでも行きつ戻りつ大変な数である。

 

 

 

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