さくら散る

『俳句と人間』 長谷川 櫂著

 春は、なんとなく感傷的な気分になる。時のうつろいがあまりにも早いせいかもしれぬ。三日ばかり又体調不調で寝込んでいたうちに、紅梅は無残に色褪せて散り、桜も木蓮も満開になった。満開の嬉しさに浸るより、いずれもあと二三日もすれば散り始めるにちがいないと、淋しさが先立つ。

 一時期著者の結社に入り、末席ながら何度か句会に同席した身である。結社で競うことがどうでもよくなって、すっかりご無沙汰をしてしまっていた。毎週の新聞俳壇の選句で、お元気だとばかり思っていたが、癌を患っておられたとは知らなかった。それもちょうど当方と同じ時期ではないか。

 この本は、皮膚癌を患い何度かの手術をまたぎながら、人の死や人生、不条理な現実世界などについて書かれた俳句エッセイという体裁のものである。あとがきに

「俳句の話を縦糸にして話題は生と死、天国と地獄、民主主義の挫折、時代精神の変遷、身辺雑事に及ぶ。」とある。

 俳句に導かれるように取り上がられる話題はあちこちに跳ぶが、底流には重い諦念があるように感じる。それは病だからというではなく、人の愚かしさへの絶望。さらに執筆当時にはなかった戦争も加わった。思いはさらに深まったにちがいない。

 詩歌を造るということは「万物の声なき声に耳を澄まして言葉にする」「祈り、寄り添う」これが詩歌を詠む姿勢だと断言する。厳しい局面で詠まれた詩歌こそ、一層心に響く。「人間は宇宙の唯一の意識」である。「一人の命の限界を超えて未来に伝えるために」「文学の淵源」もそこにあるというのだ。

 いくつかの話題のうち、私的には「芭蕉の晩年の苦しみ」について書かれた話が興味深かった。軽みを選んだゆえに軽みに徹しきれずに失望のうちに亡くなったという話だ。

 

 

 

 

         もふ元に戻らぬ世界さくら散る

 

 

 

 

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 この世は美しい。うちの庭は、雑然としてはいるが、春は「極楽浄土」だと勝手に妄想する。昨日は桜の名所にも出かけたが、やっぱりうちの花を。