風薫る

芭蕉の風景 下』 小澤 實著

 下巻の前半分弱は『おくのほそ道』の句を辿る話である。

 芭蕉陸奥へ旅立ったのは「更科紀行」から帰りて半年後、春三月のことである。四十六歳、百五十五日、2400キロの長旅である。同行者は曽良。彼が後に幕府の巡見使として壱岐で亡くなったことから、この旅にも幕府隠密説などもある。小澤さんも読み進むうちにそんな気もしてきたと書いておられる。もっともそれでこの文学作品の価値が損なわれるものではないとされているが、全くそのとおり。 単なる紀行日記でもない。推敲に推敲を重ねた文学作品であることは、初稿の句と推敲後の句の大きな違いでも明らかだ。

 例えば、

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」誰もが知る芭蕉名句中の名句であるが、曽良が書き留めた初案は「山寺や石にしみつく蝉の声」であった。後者ならば平凡であるが、わずか四文字を変えただけで鳴きわたる蝉の声だけがひびく閑寂な山寺の風景を現出させている。

 初案を推敲するだけではなく、句のリアリティを確かなものにすべく、作句の順を入れ替えたり、読んだ場所を変えたり、時には掲載を止めたりもしているのだ。

 松島の景観に感じた折も「予は口をとぢて眠らんとしていねられず」と、曽良の句だけを書き留めてはいる。が、実際は発句を残していたと、小澤さん。「嶋々や千々にくだきて夏の海」である。これでは理屈だ。つまらないといえばつまらない。文学作品に所載するのを控えたにちがいない。俳句は推敲が大事である。詠み散らすだけの身は反省せねばならない。

 旅の終わりは美濃の大垣。季節はすでに秋であった。『おくのほそ道』に所載はないが、大垣に宿りして伊吹山を読んだ句が引かれている。

「其(その)まゞよ月もたのまじ伊吹山」ー伊吹山はそのままでいい、月の風情を頼ることもあるまい(小澤さん訳)  毎日伊吹山を見ている者としては、何となく嬉しい句だ。

 

 

       さざめきや子らの声のせ風薫る