台風去る

『列島語り』  赤坂 憲雄・三浦 佑之著

 お二人の対談集である。対談集に共通することだが筋道立って話が進むわけではなくまとまっているようでまとまりにくい。大まかに言えば共通する土俵は中央に対して辺境の視点からの問題意識であり、歴史学徒ではない立場からの問題提起であるといえようか。

 赤坂さんは東北学の視点から「遠野物語」を中心に、三浦さんは「古事記」をもとに、共通する「語り」を祖型とした文学についての交歓がある。文字化される以前にどういう人物がどんな意図でものがたりをし、そして伝承されたのか。元の伝承とは違うものになっていてもその奥には生きた伝承というものが見えてくるに違いない。おそらくいずれも正規の歴史からは外された敗者や不遇の人々への共感と鎮魂の心ではないかというのだ。

 日本文化の古層についても話し合われる。近代以降海上の道を忘れてきた日本人だが、古層にあるのは海洋民的姿だ。三浦さんは出雲神話には南方性があるという。それはスクナヒコナのように海の彼方から寄り来る神であったり死者の帰るところとしての海との深い繋がりだ。一方、赤坂さんは日本海側はもちろんのこと、東日本大震災後の昔の海岸線から、干拓で消えてしまった太平洋側にもかっては「潟」を繋ぐ文化圏があったにちがいないという。糸魚川翡翠神津島の黒曜石の広がりなどからもそれは十分に考えられる。「舟の文化・海の文化」がもっと見直されても良いのではないかとの指摘である。

 「端」は「橋」でもあり「こちらとあちらをつなぐものでもある」。「つなぐ」というシンボリックな行為が文化を豊穣にする。「端っここそフロンティアだ」とお二人の主張は熱い。

 正直にいってこんな読み方でいいのかという気がするが示唆に富む興味深い対談であったし、以上のほかにも「出雲の謎」などはもっと知りたいテーマでもあった。

 

 

  台風一過。庭には蝶が乱舞している。あの激しい風雨の間いったいどこに身を潜めていたのかと不思議な気持ちになる。掲載句はそのあたりの思いである。

 

 

 

 

     台風去る地より湧きしか蝶数多

 

 

 

 

列島語り ―出雲・遠野・風土記―

列島語り ―出雲・遠野・風土記―

 

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 夏の間暑すぎて咲かなかった月下美人、今頃咲いています。