夏燕

『この国のすがたを歴史に読む』 網野 善彦・森 浩一著

 Tが拝読しているブログで紹介されていた本、興味が湧いて古本を注文する。歴史家の巨匠、お二人の対談集である。たくさんの本を興味深く読ませていただいたが、この本は初見である。(2000年刊)対談集であるから断片的ではあるが「日本や日本文化」について随分と示唆に富む内容である。いくつか例を上げると

○ 縄文時代から三内丸山遺跡などで巨大柱の建物が建てられていたのはよく知られているがそれらの建物に共通の単位がある。つまり「物差し」の存在である。しかも大陸のにも同じような基準尺があることもわかり、すでに大陸と知識の共有があった。

○ 弥生時代から絹の生産は始まった。古代末から中世にかけて美濃・尾張以東の荘園では年貢は絹や布であった。蚕を「ヒメコ」という地方があるが「卑弥呼」に繋がるものがあるかもしれない。現在でも皇室で皇后の務めとして養蚕がおこなわれている。

○ 縄文の頃から黒曜石や翡翠のように遠隔地との交流は盛んであった。遠くても「この国の先祖たちは、良い材料があれば命がけでとりにいった。」3cの壺にすでに帆船の文様がある。それも左右に80本ぐらいの櫂があるものだ。(これは岐阜の大垣の遺跡から出たものなので見に行かなければ) 古墳壁画が中部九州と太平洋側の関東・東北に集中するのも人の移動が考えられる。縄文にはなかった竹などの分布も南九州からの隼人の移住と関係があるらしい。

○ 「漢字を弥生時代のある段階で受け入れて、自分たちのものにしている。」識字率が高いのは以前から言われているが知的好奇心が高かった。遣唐使で中国に渡った人たちが贈り物を書物に換えて帰国したという中国側の記録がある。

○ 女性が意外と力を持っていた。最初に仏教の修行を始めたのは女性で尼さんも多い。中世には女性の金融業者の活躍もあった。動産・銭に関することは非常に力を持っていた。

 面白いと思う件を書き出していると切りがないからこのあたりまでとするがお二人はすでに黄泉の人である。現在の学問的研究はどのあたりまで進んだのであろうか。歴史学を志す者なら研究対象としたいことばかりである。

 

 

 昨日は終日パンツのリフォームに費やした。痩せてどれもガバガバなので何とかしようと奮闘したのだが出来映えはよくない。おうち着ぐらいは我慢するかというところ。つくづく器用でないと落ち込む。

 図書館がまだ開館しない。閉館中は増えることも覚悟して購入したけれど図書館に入れば言うことはない。

 今日の「英雄たちの選択」は「月山富田城」とあったからもう一度宮脇さんを眺めておこうと思う。

 

 

 

 

          背後よりかすむるごとく夏燕

 

 

 

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 夫の誕生日と母の日のプレゼントを兼ねてY夫婦がプレゼントしてくれた花苗で寄せ植えをしました。やっと根付いてきたこれはその1。まだ咲いていないのもありますが、キンレンカカランコエペチュニア・ラベンダー・バーベナツユクサです。