春めく

『読み解き古事記 神話篇』 三浦 佑之著

 この方の「古事記」についての本は以前にも読んだことがある。多分近頃の「古事記」研究の第一人者なのではないだろうか。今回は、筆者によれば、学生へ「講義をおこなう手つきで、古事記という作品を読み解こう」と試みたものらしい。読みやすくわかりやすくい。例えば、論理的な整合性があやふやな話も筆者なりの考えが示されている。長々しくわかりにくい神々の名前も、古語からその属性が解き明かされているし、神話独特の叙述についても説明がある。

 「古事記」を通読したという記憶はないが、大部分は昔からよく知った話だ。ただ、一部が音韻律を持つ歌による語りであるということは、今回初めて知った。ヤチホコ(オオクニヌシ)がヌナカワヒメを口説く場面やスセリヒメの嫉妬にうんざりして牽制する場面である。滑稽でもありエロチックでもあり、いにしえの人々も今と変わらぬのは嬉しくも楽しくもある。これは芸能者によって所作をともなう掛け合いとして演じられた歌謡劇のようなものではないかと筆者は推測している。

 古事記神話の四割超が出雲のオオクニヌシの話であるというが、最後にはこのオオクニヌシが「国譲り」をさせられる。「国譲り」などという聞こえのいい言葉は明治以後の解釈らしく、本文によれば力による制圧であり統治権の奪取である。以前の解釈では(本居宣長など)オオクニヌシは大きい宮殿の建造を条件に国を譲り渡したと言われてきた。ところが、三浦さんの解釈は違う。オオクニヌシはすでに立派な宮殿に住んでいたのである。それはスセリヒメを娶った時のスサノオとの約束であった。すでにある「立派な宮殿をお治めくださるなら」というのが、背かない条件であったから、後になって出雲大社の修造問題がでてきたのだというのだ。

 「古事記」神話の最後は天上から降り立った天津神、いわゆる神代三代の話である。生死を超越した神が、天下って人になったから「死」ということから免れなくなった。三浦さんはこれが最初の天皇人間宣言であるとしている。もっともヒコホホデミ(ヤマサチヒコ・二代目)の享年は五百八十歳である。

 オオクニヌシの治めた国が四隅突出型墳丘墓を造った人々と関係があるのかないのか、たくさんの埋められた銅戈や鉄剣、銅鐸の不思議。「出雲」と言うだけで心騒ぐような気持ちになるのは、オオクニヌシの無念を思うからであろうか、まだまだ深い謎があるためであろうか。

 

 

 

 

                    春めくや光追いかけ魚となる

 

 

 

 

読み解き古事記 神話篇 (朝日新書)

読み解き古事記 神話篇 (朝日新書)

f:id:octpus11:20210213133121j:plain

庭のあちこちに「春 」が顔を出してきました。一度天ぷらにしました。今度は蕗味噌にしようと思います。