うららか

昭和天皇』 原 武史著

 時々コメントをくださるこはるさんのお薦めで読む。様々な資料から読み取ったお濠の内の生々しい様子である。かの人が生涯皇祖神への拝礼と生物学にこだわったということ、細かいことには触れないが今回の戦争に対する姿勢も、皇室内での確執もわかり、興味深かった。

 昔、多分就学前だと思うが、母に連れられて岐阜駅前にかの人を見に出かけたことを思い出した。戦後の地方巡幸の時であったろうか。人並みの遥か遠くに見た記憶がある。

 科学者でもあったかの人は自らが神の末裔であるということを信じておられたようだが、平成の天皇は、あるいは令和の天皇はどうであろうか。万世一系とは不思議な話である。

 

 

 

       太極拳らしき体操うららかや

 

 

 

 

昭和天皇 (岩波新書)

昭和天皇 (岩波新書)

  • 作者:原 武史
  • 発売日: 2008/01/22
  • メディア: 新書

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 散歩をしているとかなり春めいてきたことがわかります。ちょっと汗ばむような時も。

 

春疾風

「わきまえた 私」

 この五日ばかり原因不明の体調不良となり、PCR検査まで受けるはめになった。幸い陰性でどうにか回復してきたが、せっかく戻ってきた体重をまた2キロも減らしてしまった。

 さて、書こうと思ったのは病気のことではない。今日の朝日新聞に作家の藤野可織さんが「あの日、わきまえた私」という題で寄稿されていた文章についてである。

 それは、藤野さんがタクシーを利用された時の話である。壮年で元気な運転手さんがこう言ったというのである。

「最近なにかというたらすぐセクハラ、セクハラですなあ。・・・そんなこといちいち言うてたらこっちはなんも言えへんやん。・・・せやしこっちはこれまでどおり言いたいことは全部言うてまっせ。」

 これに対して藤野さんは自分の考えとは違う、何か言わなければと思うのだが、密室空間で大声の運転手と争うことも怖くて何も言えなかった。そして、

「私はずっと怒っている。何も言えなかった自分に対して憤怒している。私は恐怖でかんたんに黙ってしまう人間だという事実が、私を蝕んでいる。」

と臍を噛むのである。

 この文章を読んで、私も自分の間違いと弱さを思った。以前にも書いた差別された場面である。恨みがましくて恐縮だが、もう一回書くと、ある人権に関する大会の準備会議の時だった。会長は、「受付と接待は、若い綺麗どころにお願いする。後の人は会場設営をお願いしたい」というようなことを言われた。そういう考え方にその時むっとしたのだが、私は黙っていた。異議を唱えて会議を嫌な雰囲気にしたくないという下心があった。私は「わきまえた大人」だった。本当はあの時言うべきだったのだ。

「お茶出しや受付などの楽な仕事は高齢の者で行い、設営など力仕事は若い人にお願いしましょう」と。自分は進んでいるつもりでいたのに大間違い。いつもわきまえてきたなあと反省する。内なる差別である。偉そうなことは言えない。わきまえずに言える人は、立派だ。

 

 

 

 

      春疾風水面走りて軽鴨(かも)飛翔

 

 

 

 

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あぶないよ。

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眠いのにごめんね。

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白梅が満開です。

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いつの間にか子どもが一匹に。

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じいさんと仲良しのモズくん。

 

 

春の雪

上林暁傑作小説集 星を撒いた町』 山本 善行撰

 昨夜から雪になり終日降ったり止んだり、夕方になりやっと薄日が差してきた。閉じこもって読んだ一冊。Tの書棚から抜き出してきた夏葉社の美しい本。七篇の短篇からなる撰集だが、どれもいい。なかでも最初の「花の精」を一番に推す人が多いようだが、私は表題にもなっている「星を撒いた町」に惹かれた。

 極貧の暮らしをしている旧友を訪ねた筆者と覚しき人が、崖のうえのそのあばら家から見える灯りの瞬く町の景色を見せられる件である。

 「燈火の数はさっきよりも幾分すくないようではあるが、それでも数限りなく煌めき合っていた。これは空の星を撒いたんだ、と白河はもう一度感嘆した。それにしても、撒かれた美しい星の棲むこの街には、どんな人達が生活を営んでいるのだろう。」

 この白河の疑問に対して旧友はプロレタリア文学などで名高い『日月のない街』、つまり「東京で指折りの貧民街」だという。

 「いくら貧乏でも汚くても、心までは汚くなりゃしないさ。むしろ無邪気できれいだよ。つまり灯は心の表現だね。」

 この後、この広々とした眺望が貧窮のどん底にある旧友のこころを和やかにしていることに安んじて、筆者は辞去するのである。

 他の篇に登場した無頼の俳人高台鏡一郎の話も心に残った。引用されている彼の俳句をここに写しておきたい。

   冬日ざし膝に評釈『冬の日』など

   むぎこがし吹きちる徒食の膝がしら

 上林の作品は病妻ものが読ませるという。確かTの書棚にあったはずだから、また読んでみたい。 

 

 

 

 

         春の雪厨の窓のゆきあかり

 

 

 

 

上林暁傑作小説集『星を撒いた街』

上林暁傑作小説集『星を撒いた街』

  • 作者:上林 暁
  • 発売日: 2011/07/04
  • メディア: 単行本

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春めく

『読み解き古事記 神話篇』 三浦 佑之著

 この方の「古事記」についての本は以前にも読んだことがある。多分近頃の「古事記」研究の第一人者なのではないだろうか。今回は、筆者によれば、学生へ「講義をおこなう手つきで、古事記という作品を読み解こう」と試みたものらしい。読みやすくわかりやすくい。例えば、論理的な整合性があやふやな話も筆者なりの考えが示されている。長々しくわかりにくい神々の名前も、古語からその属性が解き明かされているし、神話独特の叙述についても説明がある。

 「古事記」を通読したという記憶はないが、大部分は昔からよく知った話だ。ただ、一部が音韻律を持つ歌による語りであるということは、今回初めて知った。ヤチホコ(オオクニヌシ)がヌナカワヒメを口説く場面やスセリヒメの嫉妬にうんざりして牽制する場面である。滑稽でもありエロチックでもあり、いにしえの人々も今と変わらぬのは嬉しくも楽しくもある。これは芸能者によって所作をともなう掛け合いとして演じられた歌謡劇のようなものではないかと筆者は推測している。

 古事記神話の四割超が出雲のオオクニヌシの話であるというが、最後にはこのオオクニヌシが「国譲り」をさせられる。「国譲り」などという聞こえのいい言葉は明治以後の解釈らしく、本文によれば力による制圧であり統治権の奪取である。以前の解釈では(本居宣長など)オオクニヌシは大きい宮殿の建造を条件に国を譲り渡したと言われてきた。ところが、三浦さんの解釈は違う。オオクニヌシはすでに立派な宮殿に住んでいたのである。それはスセリヒメを娶った時のスサノオとの約束であった。すでにある「立派な宮殿をお治めくださるなら」というのが、背かない条件であったから、後になって出雲大社の修造問題がでてきたのだというのだ。

 「古事記」神話の最後は天上から降り立った天津神、いわゆる神代三代の話である。生死を超越した神が、天下って人になったから「死」ということから免れなくなった。三浦さんはこれが最初の天皇人間宣言であるとしている。もっともヒコホホデミ(ヤマサチヒコ・二代目)の享年は五百八十歳である。

 オオクニヌシの治めた国が四隅突出型墳丘墓を造った人々と関係があるのかないのか、たくさんの埋められた銅戈や鉄剣、銅鐸の不思議。「出雲」と言うだけで心騒ぐような気持ちになるのは、オオクニヌシの無念を思うからであろうか、まだまだ深い謎があるためであろうか。

 

 

 

 

                    春めくや光追いかけ魚となる

 

 

 

 

読み解き古事記 神話篇 (朝日新書)

読み解き古事記 神話篇 (朝日新書)

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庭のあちこちに「春 」が顔を出してきました。一度天ぷらにしました。今度は蕗味噌にしようと思います。

水温む

『焼野まで』 村田 喜代子著

 著者が子宮癌を子宮摘出手術を受けずに、放射線治療で治したということは、前にもどこかで読んだが、この本はその顛末を書き表したものである。

 放射線治療といってもやや特殊な放射線治療のようで、調べたところではこの治療が胡散臭いという意見もあれば、手術をしないでも完璧に完全に治ったという人もある。(村田さんは治った例になる)健康保険が利用出来ない自由診療であり、病院が遠隔地(鹿児島)でもあり入院施設もない(ホテルなどに滞在して治療する)。いきおいお金や時間に余裕のある人たちしか利用できない、あの希林さんも筑紫哲也さんも利用されていた施設らしい。

 私なぞの受けた放射線治療とどこがどうちがうのかはよくわからないが毎日2グレイの放射線を照射されるということでは同じだ。2グレイというのは2シーベルトのことで「原発から半径20キロメートル圏内でも、一年間の積算線量が20ミリシーベルトを超えると避難区域になる」というほど、2グレイというのはすざましい線量だ。が、だからこそピンポイント照射で癌を殺傷できるのらしい。2グレイを筆者の場合は26日、あと5グレイを6日、そして2グレイを3日である。わたしは2グレイを33日であった。局部的だが毎日放射線を浴びるので、当然だが副作用がある。筆者は体の怠さ、宿酔という気持ちの悪さ、腸の変調、食欲不振などなど。私の時も同じようなものだったが粘膜に近いせいかやけどのような痛みがひどかった。さすがに作家は違うなあと思うのはその辛さや不安感で一冊書いてしまわれたことである。私なぞは日記に「だるい、痛い、ごろごろしている」と毎日同じようなことを書いていただけである。

 筆者が治療を受けられたのは東日本大震災の年だったというから、すでに10年。もう安心である。私の場合は随分大きなものが消えたのだが、2年半後に再発らしき気配があり手術になった。結局再発ではなかったようだが、放射線治療の後遺症もあり今に至った。それにしても私は感受性が案外鈍いのではないかと思いはじめている。癌告知を含めて何もかも成り行き任せで過ぎてきた。こういう鈍さは神様のお恵みかもしれないなら、それはそれで有り難いことだ。

 

 散歩をしていたら彼岸花の球根がごろごろと掘り出されていた。拾って帰ってH殿に隣の川の堤防に入れてもらった。咲くかな?咲くと嬉しいのだけど。

 

 

 

 

          水温むタモは光を掬いをり

 

 

 

 

焼野まで

焼野まで

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頭が白いカワウです。婚姻色だということを初めて知りました。

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こちらも恋のお相手さがしかな。

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春浅し

『「松本清張」で読む昭和史』  原 武史著

 一昨日、十三ヶ月ぶりに一人で車を出して図書館に行き、借りてきた内の一冊。

 原さんは清張に惹かれる訳を二つ挙げている。「一つは、清張の作品が戦後史の縮図であるという点」、「もう一つは、タブーをつくらないという点」であると書いている。タブーというのは天皇制や被差別部落ハンセン病GHQなどといったテーマのことで、ここに取り上げられた作品もまたその一部である。

 『点と線』『砂の器』『日本の黒い霧』はかって惹かれた作品でもあり、原さんの解説を待つまでもなく細部が思い出されたが、天皇制に切り込んだ未読の『昭和史発掘』や『神々の乱心』(これは未完)は解説だけではよくわからなかった。

 だが、天皇制についての研究者である筆者にとっては、むしろこちらの方に関心が深いようだ。国民的作家として司馬遼太郎と対比しながら、清張は「いまなお解明されない天皇制の深層を見据えようとした」大作家でもあり歴史家・思想家でもあるとしている。

 正直言って現代の天皇制などにはあまり関心はないのだが、そのくせして「古事記」を読んだり古代史に興味を持ったりするのは矛盾していることになるかしらん。「宮中祭祀」というのは今でもアマテラスに祈る行為のことで、それは綿々と続いているらしい。

 

 今日は全く春とは名のみばかりで寒い。トシヨリ二人、暖房の部屋に閉じこもってばかり。H殿は「高校地学」の教科書でお勉強。「ブラタモリ」の影響大である。

 

 

 

 

         春浅し病のその後尋ねられ

 

 

 

 

「松本清張」で読む昭和史 (NHK出版新書)

「松本清張」で読む昭和史 (NHK出版新書)

  • 作者:武史, 原
  • 発売日: 2019/10/10
  • メディア: 単行本

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クチナシの実

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ツグミ

 

節分

花森安治選集 2』 花森 安治著

 副題に「ある日本人の暮し」とあり、『暮しの手帖』23号(1954年)から97号(1968年)までに掲載された聞き書き「ある日本人の暮し」からの選集である。「あとがき」によれば最初の二編は大橋鎮子さんの縁によるものらしいが、後は編集長が読者に呼びかけたものであるらしい。

 私自身が育ってきた時代でもあり、平明で時にはユーモアに満ちた語り口もあり、分厚い本だが一気に読めた。

 日本人の多くがそうであったと思うが、五十年代はともかく貧しかった。ここにでてきた人々がやっと糊口をしのぎ、辛うじて生きてく様を読んでいると、涙が滲んできた。この人たちは、この人の子どもたちはその後幸せに暮らしておられるだろうか、そんなことも気になった。

 「伊深しぐれ縁起」という一編がある。これは隣町に取材した話である。苦労をして一時は死まで思い詰めて蛤のしぐれ煮に似た麸の佃煮を作られた話である。気になって調べたら、いまでも珍しい郷土土産として続いているではないか。そう言えば一度いただいたこともあるような。今度そちらに出かけたら買ってこようと思ったことだ。

 六十年代後半になるとさすがに花森さんの筆致も明るくなる。講談調といったらいいか、ともかく軽快だ。私自身は主婦になってこのころから愛読した記憶がある。

 この本の後半に「日本紀行」からの抜粋もある。選ばれたのは神戸、高山、松江。そこには震災前の神戸、観光客がこったがえす前の高山、八雲の下駄音が聞こえるような松江がある。「人はなぜ失われゆくものに美を感じるのだろう」この前見た「地球タクシー」の語りの一節であるが、ここに書かれたものは、もう「失われてしまったもの」ばかりだ。

 

 

 

 

             自転軸傾く地球節分会

 

 

 

 

花森安治選集 第2巻

花森安治選集 第2巻

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戦後少しの間、この鉄塔の下近くで父は米つくりをした。本家の田んぼを借りて勤めのかたわらの百姓である。鉄塔の下でものを食べてる幼い私に、隣の田んぼのじいさんが「カラスがねらっとるぞ」といじめたものだ。耕地整理はされたが鉄塔の位置は変わらない。