節分

花森安治選集 2』 花森 安治著

 副題に「ある日本人の暮し」とあり、『暮しの手帖』23号(1954年)から97号(1968年)までに掲載された聞き書き「ある日本人の暮し」からの選集である。「あとがき」によれば最初の二編は大橋鎮子さんの縁によるものらしいが、後は編集長が読者に呼びかけたものであるらしい。

 私自身が育ってきた時代でもあり、平明で時にはユーモアに満ちた語り口もあり、分厚い本だが一気に読めた。

 日本人の多くがそうであったと思うが、五十年代はともかく貧しかった。ここにでてきた人々がやっと糊口をしのぎ、辛うじて生きてく様を読んでいると、涙が滲んできた。この人たちは、この人の子どもたちはその後幸せに暮らしておられるだろうか、そんなことも気になった。

 「伊深しぐれ縁起」という一編がある。これは隣町に取材した話である。苦労をして一時は死まで思い詰めて蛤のしぐれ煮に似た麸の佃煮を作られた話である。気になって調べたら、いまでも珍しい郷土土産として続いているではないか。そう言えば一度いただいたこともあるような。今度そちらに出かけたら買ってこようと思ったことだ。

 六十年代後半になるとさすがに花森さんの筆致も明るくなる。講談調といったらいいか、ともかく軽快だ。私自身は主婦になってこのころから愛読した記憶がある。

 この本の後半に「日本紀行」からの抜粋もある。選ばれたのは神戸、高山、松江。そこには震災前の神戸、観光客がこったがえす前の高山、八雲の下駄音が聞こえるような松江がある。「人はなぜ失われゆくものに美を感じるのだろう」この前見た「地球タクシー」の語りの一節であるが、ここに書かれたものは、もう「失われてしまったもの」ばかりだ。

 

 

 

 

             自転軸傾く地球節分会

 

 

 

 

花森安治選集 第2巻

花森安治選集 第2巻

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戦後少しの間、この鉄塔の下近くで父は米つくりをした。本家の田んぼを借りて勤めのかたわらの百姓である。鉄塔の下でものを食べてる幼い私に、隣の田んぼのじいさんが「カラスがねらっとるぞ」といじめたものだ。耕地整理はされたが鉄塔の位置は変わらない。