日脚伸ぶ

『ワイルドサイトをほっつき歩け』 ブレイディみかこ

 風もなくて暖かいのに(曇ってはきたが)散歩の時間も惜しんで読書。返却が明日に迫っているし、次の予約者が入っていて延長はできない。そうまでして読まなければいけないというわけでもないが、ブレイディさんは読み口がいい。

 彼女の連れ合いを含めてイギリスのおっさんたちの話である。みんなだいだい六十代、日本で言えば団塊の世代だろうか。日本のこの世代のおっさんたちに比べれば総じて愛嬌があって元気なのではないかと思うが、よくはわからない。それにしても、かって「ゆりかごから墓場まで」と言われたイギリスの社会福祉は瀕死のありさまのようだ。NHS(国民保険サービス)の実情が紹介されていたが、「地方の町の地べたレベルでは、もはや機能していない」ということらしい。NHSとは、収入や人種や社会階層に関係なく誰もが無料で治療してもらえる理想的な医療制度だったはずだ。そうなると、75歳以上の一部を2割にするなどといっている日本の国民健康保険制度の方がまだましなのかとも思ってしまう。コロナ禍では最優先で無料治療が行われているだろうが、この本はコロナ感染拡大前のものなので今の実情はどうなのだろうか。自前のワクチン投与が始まったというから、やっぱりイギリスの方がましなのかな。

 今や世界中で貧富の格差は広がり息苦しい世の中になってきたなあとトシヨリはがっくりするばかりで、もう考えたくない。

 

 

 

 

         雨近く流れを速み日脚伸ぶ 

 

 

 

 

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ワイルドサイドをほっつき歩け --ハマータウンのおっさんたち

ワイルドサイドをほっつき歩け --ハマータウンのおっさんたち

 「チャンドラポメロ」という柑橘類を食す。H殿の友人から葱のお返しにいただいたもの。あまりの大きさに前回いただいた時は食べるのを躊躇したが、もったいないと言われて挑戦。ピンクの果肉でジューシー、甘くて美味しい。文旦とグレープフルーツの交雑種らしい。デーブル中べたべたになった。

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初場所

レンブラントの帽子』 バーナード・マラマッド著 

 雨模様の日が二日も続いて、本でも読むしか仕方がなかった。正座とかソァアに座るとかが楽に出来ないので、勢い転がって読むばかりで、目も疲れた。

 装幀がよくてTの本棚から引き抜いてきただけで期待はしてなかったが、なかなか面白かった。短篇集だがどれも人の内面を丁寧に追ったものだ。その心理描写が卓越している。誰でも心の中が真っ白ということはほとんどなくて、いつもどうでもいいことを思い浮かべている。相手がいれば、相手の気持ちを憶測してああでもないこうでもないと、不安になったり怒ったり。いなくても思い出してあれこれと、ともかく一瞬たりとも澄みきることはない。「瞑想」を心がけても凡人のわたしなんぞは常に邪念が邪魔をする。そして、その邪念は勝手に膨らむものだけに厄介だ。邪念に振り回される人の常を描いたといったらよいだろうか。帯に「マラマッド」の最高傑作とあるが納得できるだけの面白さはあった。

 初場所が終わる。朝の山が早々と優勝争いから落ちたので、あまり熱心に見ていない。大栄翔の優勝で、ひとりも優勝力士のでてない県が減ったと言っていた。うちの県は関取すらいないなあ。むかしむかし「恵那桜」という関取がいたくらいだ。

 

 

 

 

        初場所十両すらもゐぬ故郷

 

 

 

 

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今日は暖か。玄関の紅梅が咲き始めた。

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陽だまりでのんびり。歩いていると汗ばむほど。

 

 

 

山眠る

空海の風景 下』 司馬 遼太郎著

 読了をして「空海」とはいかなる人だったのかと、改めて考えている。むろん司馬さんの描いた空海を通してでしかない。「宗教者・僧」という言葉では括りきれない「したたかさ」がある。自らが「宇宙」そのものに化したという天才で、司馬さんの言葉で言えば「日本の歴史の中で唯一民族社会的な存在ではなく、人類的存在だった」ということらしい。その上で「胡散臭さ」がつきまとうとも。また、解説では大岡信さんが(この解説が素晴らしい)「おそろしく抽象的で妖艶で脂ぎっていて虚空そのものであるような存在、零の無限大そのものであるような存在」とも書いている。こういう詩的ともいえる表現に平凡な人間は驚くしかないが、それが奇異と感じさせぬほど「空海」は一筋縄では語れぬ人物のようだ。

 下巻で空海は唐で恵果から「密一乗」を譲り受ける。出会ってわずか三ヶ月の内にである。四ヶ月後の恵果の死に臨んでは門人数千人の代表として師を悼む碑文を書き、唐の皇帝の信任も得る。だが、二十年の留学期間を端折って二年で帰国、一年の隠棲を経て都に帰り着く。

 その後の話の展開は、最澄とのかかわりが大である。最澄空海は同じ遣唐使船で唐に渡ったが、船が違い到着地も異なった。何より身分も違った。最澄天皇の信任が厚い請益僧であり、空海はただの留学生であった。

 空海より早く帰国した最澄密教の断片を持ち帰ったことが、二人の齟齬の始まりとなる。最澄は己の不完全さを認識、空海に教えを請う。経典の貸出を何度も頼む。それこそ頭を低くして幾度も頼む。むろん空海はそれに応えるが、空海には密教は書物を読んで理解出来るものでもないし、そうするものでもないという信念がある。ついに一人の弟子を巡って完全な断絶となる。このあたりは、二人の間を行き来した書簡が残っているだけに両者の人柄の違いがありありと見える。最澄の温和、篤実さにくらべて空海のあくの強さ。

 「最澄は便宜として密教を身に着けようとしているのではないか」という空海の疑惑はわからぬでもないが、凡人としては山野を渉猟し、明けの明星を体内に取り込み、宇宙そのものを体現した「空海」という偉大さがわからぬゆえ、最澄に同情したくもなる。

 「弘法大師」として様々な伝説があるのをみても、「空海」という人はよほど特異な人であったに違いない。空前絶後のひとであったゆえに、最澄天台宗がその後幾人かの宗教人を輩出したのに比べて、空海の後は寂しいと言われるのも、そのあたりに所以があるのかもしれない。

 それにしても実に壮大な話であった。大岡さんではないが、伝記でもあれば時代史でもあり、仏教書でもあれば、思想書でもあるという一冊にちがいない。

 

 さて、下世話な話になるが、何年か前に家族で高野山に詣った。酷い台風と重なり大降りの中を奥の院に詣でたことや世界一不味いのではないかと思われる〇〇食堂で(ここしかなかった)昼をとったことが思い出される。個人的な感想だが、空海の事蹟なら東寺の方がいい。

 

 

 

 

        雲の影おおきくひろげ山眠る

 

 

 

 

空海の風景 (下) (中公文庫 A 2-7)

空海の風景 (下) (中公文庫 A 2-7)

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ムクドリ

冬籠

『JR上野駅公園口』 柳 美里著

 最近テレビのテロップに「人身事故のため〇〇線の〇〇駅と〇〇駅間不通」と出ることが多い。もしやコロナのせいかと重い気持ちになるのだが、東京などではニュースにもならぬほど、その手の自殺は多いらしい。

 先の陛下と同じ年に生まれ、東北の極貧家庭から東京へ出稼ぎ、変貌するこの国の下働きを務め、家族を養い、充分報われていいはずだったのに、老いてホームレスにならざるを得なかった、まさに「運の悪さ」をもって死んだ男。そして、死んでも追い打ちかけるように孫娘を奪った「東日本大震災」。

 天皇、皇后の行啓行などで上野公園のホームレス狩りが一斉に行われるということは初めて知った。どちらかと言えば弱者に心を寄せられている皇室にとっては、意に反したことではないだろうか。オリンピックに向けてきれい(?)にされてきたという公園辺りのテント村は、この厳しい状況下で今はどうであろう。厚労省生活保護は国民の権利であるから受けるように勧めていると聞いたが、受けるのをいさぎよしとしない人も多いらしい。「自助」などという言葉は言いたい奴には言わせておいて、権利を受けてほしい。私なぞも自腹で買おうと思えば買えるが、障害に伴う用具の購入援助を受けて助かっている。

 この本は2020年の全米図書賞(翻訳部門)受賞作品である。上梓されたのは七年ほど前であるが、コロナ禍という多くの人が生きることに四苦八苦している今の時代だからこそ、よけいに胸に響くものがあると思う。

 

 さんざん迷っていたが、昨日運転免許更新のための「高齢者講習」を受けてきた。やってみればたいしたことはなく、もう一回だけ更新することにした。もっともそれほど乗るつもりはないのだが。

 

 

 

 

         陰に陽に強いられてをり冬籠

 

 

 

 

JR上野駅公園口

JR上野駅公園口

  • 作者:柳 美里
  • 発売日: 2014/03/19
  • メディア: 単行本

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霜の朝

空海の風景 上』 司馬 遼太郎著

 ようやくこのところの寒波が抜けたようだが、今朝は霜が凄い。

 老人病の薬を処方していただいている主治医のところまで歩いて出かける。元気なころは車で行っていたのに、この頃は歩き慣れたせいか歩く方が気持ちがいい。新聞に「インターバル速足」ということが紹介されていた。3分ごとに速歩とゆっくり歩きを繰り返すというもので、「負荷をかけ、酸素をたくさん消費、体力づくりに効率がよい」らしい。何でもすぐにとびつくと家人に呆れられながらも試すことにする。タイマーを持って歩き、3分ごとに速さを変えて5セット。実際はそれだけで終わらなかったので案外疲れた。今日は薬だけを出してもらってきたが次回は血液検査をお願いするつもりだ。そこで腫瘍マーカーの検査をしてもらえば、画像検査は半年に一回ぐらいでいいかなと前回の外科の先生の診断である。

 

 『空海の風景』上下二巻がなかなか進まない。空海がやっと長安にたどり着いた。ここまでの司馬さんの「空海」はひたすら真理を求めんとぎらつく独創性を盾にむやみに前のめりで進んでいく若者の姿である。

 圧巻は遣唐使船が漂着した福州での活躍である。正規の国使と認められず、密輸業者同然の扱いに耐えかねた大使の葛野磨呂は、無名であった空海に地元の長官への嘆願書を書かせた。この時の文書が残り、その詳細が解説されている。

 「論理の骨格があざやかで、説得力に富む。読む者の情感に訴える修辞は装飾というより肉声の音楽化のように思える。」と司馬さんはいう。

 この一文を読んだ福州の役人は驚き、直ちに態度が改まったというから「空海」の面目躍如というしかない。

 

 

 

 

         陽のあたる道を選んで霜の朝

 

 

 

 

空海の風景 上 (中公文庫 A 2-6)

空海の風景 上 (中公文庫 A 2-6)

 

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着ぶくれ

SDGs 危機の時代の羅針盤』  南 博・稲場 雅紀著

 「SDGs」(持続可能な開発目標)とは最近よく目にする一節である。新書の解説本を、Tが読んでわかりやすいというので読み出したが、かなり苦戦した。横文字が多すぎるのである。ひとつひとつ調べて、メモに書き出して、やっと読了した。それでわかったことは、今や地球は危機的な状況であり、猶予はいくらも残されていないということである。

 具体的に言えば、「現在世代は、現代の社会・経済システムを維持するのに『地球1.69個分』の資源を使い続けて」おり、「資源が枯渇して、その時に生きる人類の可能性が極端に損なわれるタイミング」は2030から40年の間というのである。グレタさん始め、若い世代が怒るのは当然で、もしかすれば私ですらその災禍を被るかも知れぬ。

 これほどの危機に対して国際的な規模で考えだされた6のパーツに分かれた17のゴールと169のターゲット。そして「誰一人取り残さない」という素晴らしいスローガン。

 そういう取り組みが始まったということだけでも、まずは是としなければならないのだろうか。グローバルな危機であるこのコロナ禍で、その意義と力がためされるであろうと本書にある。

 さて、卑近なレベルで思うに「私には何が出来るか」。無駄を出さない、自然を汚さない、ごく普通に行っていること以外に思いつかない。他に何が出来ることはないのだろうか。

 

 明日は先日のCT検査の結果と、形成手術のその後の診察のため、病院である。その病院で2・3日前に、救急外来でコロナの感染が出たと発表があった。岐阜県も感染者が多くて、ひたひたと身近に迫ってきた気がする。おまけに雪もようで寒い。暗いニュースばかりだ。

 

 

 

 

        着ぶくれて耳の先だけ尖らせる

 

 

 

 

SDGs――危機の時代の羅針盤 (岩波新書)

SDGs――危機の時代の羅針盤 (岩波新書)

 

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スイバの冬葉

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いつもの猫ちゃん

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スイセン

歌留多取り

『黒いピエロ』 ロジェ・グルニエ著 山田 稔訳

 先に読んだ山田さんの『別れの手続き』で知った本、グルニエが自分の作品の中で一番気に入ったと語ったものである。グルニエ自身の青春の投影かもしれぬ「一つの挫折の物語」。(山田さんの言葉)詳細は「もう一つの物語」と題された訳者のあとがきに見事にまとめられているので、ここでは触れない。メリーゴーランドが回るように時は回って、若者は老い、苦い人生を振り返る。

 「今では私はもうむかしのように自分の人生をこれからどう生きるのだろうと自問したりはしない。むしろどう生きてきたかを考える。私は、われわれの時代を正当化しえぬ以上、それにたいして意味を求めることも止めた。・・・要するに私たち、・・・われわれの時代の敗北者だった。しかしある意味では難を免れた、あるいは半ば免れたといえるのだ、そう考えると私は気持が安らぐ。」

あの戦争の時代に青春をおくった「私」の述懐である。

 私も「どう生きてきたか」を考える歳になったが、そう問えるほど意志的に生きてこなかったと思うばかりだ。ただ私たちの時代には身近に戦争はなかった。いろいろ災害や政治的問題はあったが、成長していく明るさがあった。これからは、それが期待できそうにない時代が待っている。誰もが難を免れそうにない不安がある。

 

 

  懐かしいお正月

 

      負けてやるつもりが負けて歌留多取り

 

 

 

 

黒いピエロ (lettres)

黒いピエロ (lettres)

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