枯葉

ソ連兵に差し出された娘たち』 平井 美帆著

 2021年開高健ノンフィクション賞受賞の重苦しい実話である。表題からおよその内容は想像が付くと思われるが、表紙見返しの惹句を引用しよう。

 1945年の夏ー日本の敗戦は満州開拓団にとって、地獄の日々の始まりだった。崩壊した「満州国」に取り残された黒川開拓団(岐阜県送出)は日本への引揚船出るまで入植地の陶頼昭に留まることを決断し、集団難民生活に入った。しかし、暴徒化した現地民による襲撃は日ごとに激しさを増していく。団幹部らは駅に進駐していたソ連軍司令部に助けをもとめたが・・・(以下略)

 ソ連軍との密約がどちらの側からの提案だったのかはわからない。が、恐らく襲撃を追っ払ってもらった、あるいは食料調達の便宜を図ってもらった見返りとして日本側の指導者から提案されたふしがある。数え歳で十八歳以上の未婚女性、黒川開拓団で犠牲を強いられたのは十五人の乙女たちだ。「みんなを守るため」といい、「接待」という言葉で本質をごまかし、乙女たちは無残に陵辱された。

 彼女らの苦難ははそれだけでは終わらなかった。それは感謝の言葉どころか帰国後の掌を返したような周囲の白眼視だ。陰口を言われ、ときにはにやけた笑いとからかいの対象にもされた。戦後編纂された『岐阜県満州開拓史』でも何ら触れられることなく抹殺された。「隠す意図はないが表にだすことは反対だ」この姿勢が、問題の可視化を妨げてきた。

 筆者などの努力でようやく社会問題として問題にされてきたのは最近のこと、すでに生存者は三名。忘れようとしても忘れられない辛い過去を引きずってきた女性たちの告発は鋭い。決して「美化した犠牲にしないでほしい」。

「戦争を始めといて、あんなことをしていく。・・・さんざん好きなようにやっておいて、帰るときは『俺たちはお先に!』って・・・」

 筆者の怒りは未だもって「女性の性をものとして消費する文化的土壌がいかに根強く存続し、そこに男たちがいかに無意識であるかということ」も指摘している。そういう点ではこの問題は、まだまだ根が深いのだ。

 

 

 

        風に乗り走る枯葉やよもすがら

 

 

 

カルガモくん