初蝉

梁塵秘抄』 西郷 信綱著

 『梁塵秘抄』と名付けられた訳は、美声のひびきが梁に積もった塵を動かした故事に由来するとは、不明であった。編んだのは、かの大天狗、後白河法皇。今様狂いとまで言われ、歌い過ぎて生涯に三度も喉を潰したという。残存するのは、ごく一部で、当然ながら歌い方はわからない。

 今様といわれ、遊女や傀儡子などの口の端にかかっただけに、当時の庶民の暮らしぶりや思いも垣間見られて、和歌とは違う面白味がある。例えば有名な

 遊びをせんとや生れけむ

 戯(たはぶ)れせんとや生(むま)れけん

 遊ぶ子供の声聞けば

 我が身さへこそゆるがるれ

 恐らく遊女の感慨であろうが、筆者はこの歌の解釈を否定的には捉えていない。遊女といっても近世以降の暗いイメージではなく、あくまで歌と踊りに秀でた芸能人であった彼女ら。子供らの遊ぶ声に「身が揺るる」ような共感を覚えるというのだ。

 仏は常にいませども 現(うつつ)ならぬぞあはれなる

 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたもふ

 石牟礼さんと伊藤さんの対談でもさかんに話題にのぼった歌である。法華経などを下敷きにした法文歌のひとつで、調べが美しく心に響く。「ほのかに夢に見えたもふ」とは、「一心三昧の果ての夢想」と筆者。なるほど、仏は簡単に現出されぬ。

 いざれ独楽(こまつぶり) 鳥羽の城南寺の祭り見に

 われは罷(まか)らじ恐ろしや 懲り果てぬ

 作り道や四塚に あせる上馬(あがりむま)の多かるに

 コマツブリとは、コマのことである。祭見物に誘われたのだが、以前懲りたことがあるので行かないというのである。この歌を引いたのは、これと同じような内容だと紹介されていた古い童歌に驚いたからである。

 田螺(つぼ)どの、つぼどの、お彼岸まゐりに行かまいか、お彼岸まゐりはよいけれど、

 烏といふ黒鳥が、足をつつき目をつつき、それで私はよう行かん(岐阜)

 文字を読むなり、歌になった。就学前にちがいない。母が歌ってくれたのだ。「お彼岸まゐり」という懐かしい行事も思い出した。沿道の見世物小屋のろくろ首の看板。人混みやういろうの土産やら。

話が『梁塵秘抄』から離れてしまったが、庶民が祭が見物するようにになったのはこの頃かららしい。先にも触れたが、著名な歌以外のところに当時の庶民の暮らしぶりや心がいきいきと垣間見られる。読んだだけではなかなかわからぬところを、著者の解説が助けとなるのもありがたい。

 

 

 

        初蝉や潮騒のごと寄せきたり

 

 

 

梅雨が明けたのか、また戻ったのか。不安定な天気である。与党が大勝して安定だというが、逆に不安になる人間もいる。