つくつくし

『新・木綿以前のこと』 永原 慶二著

 昔の人は何を着てたんだろう。そう思ったのは、少し前に読んだ上野誠さんの『万葉人の奈良』で、「調」の麻織物に苦労する東国の女たちの歌を読んだからだ。ともかく麻(苧麻)の茎から繊維を取り出し、糸により、織り上げるまでは相当の手間だったようなのだ。しかも麻布と絹織物しかなかった当時は、当然庶民の着衣は年中麻だったようで、家族用と租税用とを用意するのは、並大抵ではなかったらしい。

 この本の冒頭にも『おあん物語』のおあん婆の昔ばなしとして

「おれが十三の時、手作りのはなぞめの帷子一つあるよりほかには、なかりし。そのひとつのかたびらを、十七の年まで着たるによりて、すねが出て、難儀にあった。」

と、ある。三百石取りの侍の娘でもこうであれば、庶民はおそらく襤褸に近いものを着ていたにちがいなく、今のドラマのような衣服はあるべくもない。

 このような貧しい衣生活におおきな転換をもたらしたのは木綿であるが、日本人が木綿を常用し始めた歴史が意外と短い。初めての木綿布が、朝鮮や中国からはいってきたのは、鎌倉期末で、当初はかなりの貴重品であったようだ。麻よりも保温性があるので最初は兵士の衣服として重用されたらしい。

 16世紀になってようやく綿の国内栽培が盛んにおこなわれるようになり、それらはまたたく間に国中に拡がったのだ。というのも兵士の衣服にも日常着にも帆布にも銃の火縄にも木綿は重宝だったからだ。第一麻布では夏はともかく、冬の寒さは厳しかったにちがいない。

 昔面白半分で綿花を作ってみたことがあるが、綿に包まれた種が厄介で、結局なんの利用もできなかったが、種をとり、繊維をほぐし、撚りをかけて糸にする過程が、苧麻から糸をとることに比べれば、かなり楽なようでもある。

 結局、日本の綿産業は明治期外来品に負けて衰退してしまうのだが、ほそぼそと残った「伊勢木綿」「松阪木綿」「三河木綿」とかが今ではとても高価なのに驚く。縞模様が洒落ているので欲しいと思ったことがあったが、気まぐれで買うには高すぎた。

 おあんさんと比べれば、溢れるように衣装を持ち、どう処分するか悩むなぞ罰当たりだから、今にみれば、買わないでよかった。

 YouTubeで「コウケンテツさんの料理教室」を見た。「ローストビーフ」の作り方がとても丁寧に説明されていたので、その通りに作ったら、うまくいった。前回はお肉があまり良くなかったので味はいまいち。今日は少し高い肉を奮発した。今から取り掛かるがどうだろうか。 

 

   

       つくつくし残り時間はあとわずか

 

 

もう、ヒガンバナ

ハゼラン