春隣

『水底の歌 下巻』   梅原 猛著

 前回でも断ったように斜め読みで梅原さんには申し訳がないのだが、それでも実に面白かった。下巻で明らかにされたことを整理すると

1, 正史(続日本紀)に「従四位下柿本佐留卒す」と記載される人物と柿本人麻呂は同じ人物と思われる。

2、 俊成の「三十六歌仙」に選ばれた「猿丸大夫」は柿本人麻呂ではないか。

3, 『古今集』の仮名序にある人麻呂が「おおきみつのくらゐ」(正三位のこと)であることは後世の鎮魂のための死後贈位ではないか

というようなことになる。

まず1については佐留なる人物と人麻呂の没年がほぼ一致する。佐留は和銅元年四月と記録され人麻呂は真淵説によれば和銅二年ごろである。官位についても「従四位下」の位に該当する官は限られており佐留は「春宮大夫」か「中宮大夫」であり、これは『古今集』真名序の「柿本大夫」という記載に一致する。故に佐留は人麻呂そのひとであると思われるが、なぜ「ひと」が「サル」になったか。梅原さんはここに懲罰としての「改名」をあげる。人麻呂は「大夫」として持統天皇の身近に仕えていたに違いないが、人麻呂は持統天皇の挽歌を歌ってはいない。故に何かの罪を得て改名され流罪され刑死させられたというのである。おそらくそれは後継者をめぐる政治闘争に違いないと推測されるがそれはわからない。

 

 政治闘争で無残な生涯を終えた歌人のことはさまざまな伝承や伝説を生んだようで2の「猿丸大夫」もそのひとつと思われる。猿丸大夫は歌の名人といわれながら何一つわからない人で、独自な彼の歌というのもひとつもない「歌なき歌人」であったと、梅原さんは指摘する。百人一首の「おく山の紅葉ふみ分け・・・」の歌も猿丸大夫の時代より後世のものらしく、ならば猿丸大夫とは何者か。柿本人麻呂を念頭に創られた伝説的人物ではないかというのが梅原さんの推測である。

 

3の『古今集』仮名序にある人麻呂が「おおきみつのくらゐ」であったというのは、永年研究者たちの混乱のもとだったようである。仮名序を書いた紀貫之の間違いであると切り捨ててきた人も多かったようだが、この疑問にも梅原さんは答えを出した。これは死後の名誉回復のための贈位だというのである。歌聖として名誉を回復させたのは平城天皇。この人は桓武天皇の息子で桓武天皇が様々な怨念に苦しんで亡くなった後に即位した人である。詳しいことは省くがこの時代に無念の死を遂げた怨霊を慰撫するいろいろな試み、例えば贈位、子孫の復権、神社の建立などがなされた事実があり、人麻呂の贈位もその流れではないかととらえられている。

 

 柳田國男は日本で神として祀られるのは非凡な徳を持ちながら非業の死を遂げた人であるという。この意味では全国に七十社もある柿本神社やそこに伝承される奇怪なあるいは不思議な話は、人麻呂が単なる歌聖ではなかったということを教えてくれているのかもしれない。

 

 かなり端折って整理した人麻呂論であるがわたしにとっては説得力のある人麻呂像となった。ウキペディアによれば、発表当時は学者諸氏からの反論もあったようなので、その内容も知りたいものだ。

 この人磨呂論にしろ出雲王朝説にしろ法隆寺論にしろ梅原さんの考えはほんとうにユニークで楽しかった。     ご冥福をお祈りしたい。

 

 

 

 

        あはきいろまとふマネキン春隣

 

 

 

 

 

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 H殿が作った正月飾りの梅が咲き始めた。寒いと思っても春近しである。