着ぶくれ

『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』  伊藤 比呂美著

 読むいうより読まされた。散文詩というのだろうか。文章がつるつるつるとリズムよく流れ、ひとりでに頭に沁みてくる。古今東西、詩人に小説家、古事記にお経に梁塵秘抄、あらゆる声借りが一層流れをせきたてる。

 父母の病の苦、老いの苦、死の苦、夫の病の苦、老いの苦、子育ての苦、子供の苦、夫との諍いの苦、友人の病の苦、そして自分の病の苦。よくもまあ、つぎつぎと押し寄せる苦に立ち向かいながら、こうまであけっぴろげに語られると何とも滑稽で、時には笑えてしまう。そして、見方を変えれば、 所詮生きるということは滑稽なことかも知れないと思えるから不思議だ。

 かって現実の苦しさを訴えた筆者に、あの寂聴さんから「その苦を書いて書いてかきまくりなさい」旨のアドバイスを受けたと読んだことがあるが、「書いて書いて書きまくった」ことで「苦」のとげは抜けていったにちがいない。

 そしてそれを読んだ人間からも、間接的にとげはぬけていく。筆者の父母ではないが、老いて障害をもち、着ぶくれてよたよたと体操らしきことをしている自画像は、端から見れば滑稽きわまりないにちがいない。そう思って笑い飛ばせば、苦などなにほどのことであろうか。

 父母を送り、夫を送り、子育てをやりとげ今や自分の老いと死に向かわんとお経を訳す筆者。共感し、納得し、ますます目が離せないことである。

 そうそうこれは「紫式部賞」と「萩原朔太郎賞」を受賞している。

 

 

 

 

       老いたるは滑稽なもの着ぶくれて

 

 

 

 

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