炎天

 ワクチンの二回目。広い部屋に点々と置かれた椅子で、接種後の待機時間をぼんやりと過ごしながら思う。

 こんなに多くの人が一斉にワクチンを打って、一様に無言でぼんやりと待機している。同じような光景が日本中で(いや、世界中かもしれぬ)見られるのだろう。不思議で異様な景色だ。

大きな歴史的出来事に直に出くわしたことはあまりないが、ひょっとしてこれは歴史的に大きな体験かもしれぬ。

 以上、白日夢のごとき妄想を打ち消して、外に出れば炎天下。

安静にすべく午後は冷房の中で昼寝と読書(あまりいつもとかわりない 笑)。

 

 『とりどりの円を描く』 佐伯 一麦著

 経歴を見ると、いろいろな文学賞を受賞されている人だが、当方は全く未読である。これは文学者や読書に関するエッセイだが、読みやすくて文章も好きだ。所々に垣間見られる人柄にも好感を持つ。紹介された本の中で、何冊か読みたいと思ったものがあり、図書館の蔵書を検索した。総じて古いものが多く、閉架にあった。最近は読んでないが、好きだった庄野潤三さんや南木佳士さんが挙がっているのも借りてきた一因である。

 文学者の話題はいろいろあったが、井伏さんのこんなエピソードを紹介しておきたい。この話は安岡章太郎さんの話からの引用だ。

 「あるとき、安岡章太郎は大病をして半年ほど入院した。やっと退院し・井伏家に挨拶に行った。先客がいて、昼間からすでに酒が始まっている。いつもながらの楽しい酒だ。しばらくして安岡は手洗いに立った。気がつくと奥の部屋から線香の匂いがする。井伏夫人に、どなたか不幸があったのかと聞くと思いもかけない返事が返ってきた。」

「昨日、次男の大助がなくなりまして、今日、葬式をいたしました」驚いた安岡に、井伏鱒二は「僕は葬式に出ない主義だから出ないんだ」と答えたのだという。筆者は『小説を書くための心の持ち運び方」の一例として紹介しているが、こういう話を知ると「小説家なんてやくざな稼業だ」という偏見も、ゆえないことではないかもしれぬ。

 

一年ほど音信不通の友のことが気にかかり、葉書を出した。思いがけずショートメールで返事がきて、抗がん剤で治療中という。又メールで連絡をくれるというので詳細を聞くのは控えたが、トシヨリになると、身近でさまざまな問題が出てくるものだと思う。

 二回目の接種あとが痛くて昨夜はよく眠れなかった。今日もおとなしくしていようと思う。

 

 

 

 

 

     いたわりの言葉掛けあふ炎天下

 

 

 

 

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