草を引く

『仮の約束』 多田 尋子著

 この人の作品を読むのはこれがふたつ目である。以前読んだのは『老年文学傑作選』というアンソロジーの中の一編で「凪」という作品だった。老老介護というような内容で、背景に死があり、思いがけぬ結末が深い余韻を残したのを思い出す。

 今回の作品も、やはり背景に死がある。

 四十を過ぎた末子は、老母の世話を押し付けて単身赴任を繰り返す夫に、人格を無視したような扱いを受けている。結婚なぞ所詮はそんなものだと思いながら、義母の介護が終わり、子どもも持たない彼女は、暇な時間で病者の話し相手のボランテイアを始めた。そこで出会ったのが末期癌で家族を持たない高木だった。ちょっとした心の交わりを経て二人は互いに惹かれるようになるが、末子は既婚者であり高木の余命は少ない。

 「生きている間だけ、あなたを婚約者だと思わせてください。」高木の切ない願いに末子は、

 「もしこの世が二重になっているとしたら、上の世界が現実の結婚してるわたし、下の世界では高木さんと婚約しているわたし」と彼の気持ちだけを受け止めるのだった。

 結末は高木の再入院で終わり、これもまた深く哀しい余韻を残した。

 多田尋子という人は遅いデビューで六度芥川賞候補に上がりながら受賞に至らなかった過去があるらしい。「多田尋子へのエール」というある人のブログで、「いい作品を書くけれど、こういう地味な作風で芥川賞をもらうのはむつかしいだろうな」という山田稔さんの言葉や候補作品を好意的に高く評価していたという三浦哲郎さんの言葉が紹介されている。この本を教えてくれた佐伯一麦さんはどう書いていたのか、すでに忘れてしまったが、最近復刊されたものに『体温』があるというので、ぜひ読んでみたいと思う。

 

 

 

    

      喧騒をよそごとにして草を引く

 

 

 

 

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