青葉風

大嘗祭 隠された古層』工藤 隆・岡部 隆志・遠藤 耕太郎著

 図書館の新刊コーナーで見つける。

大嘗祭」については昔、折口説を知った覚えがある。つまり天皇候補者は真床御衾という寝具に包まられて天皇霊を身に着け、神になられるという説である。大嘗祭での新天皇の行為は相変わらず秘儀であり、確かなことはわからないが、折口の説は平成天皇の際に宮内庁によって否定されている。宮内庁は大嘗宮の内陣に用意されている寝具は神様のもので天皇が休まれることはないという。

 では、そこに降臨される神様とはどなたか。皇祖のアマテラスではないらしい。アマテラス自身が新嘗祭大嘗祭)を執り行ったという記載が記紀神話にあり、大嘗祭はもともとそれにならったものらしい。この本でも降臨され、天皇天皇たらしめる神についてはいくつかの説があるが、アマテラスであるとも、大自然の神、あるいは稲の神ではないかとも示唆されている。天皇はアマテラスはを祀り、あるいは稲の神を祀り自身も神の魂を身につけるという不思議な構造をもつ儀礼をされるのである。

 はっきりしているのは大嘗祭の始まりで、天武・持統天皇時代、天皇の権威をたしかなものにするための日本的儀礼として始まった。途中で中断はあったものの延々と継承され、明治期には天皇が超越的存在であるという根拠を植え付ける装置として利用された。

 では神でなくなった今の天皇制での「大嘗祭」の意義は何か。工藤さんなどは「超一級の無形民俗文化財」として遇してはどうかと言う。アミニズム系文化を守ってきた日本人の精神的支柱して残すことに反対の意見はこの本にはない。ただ今回の大嘗祭には二十四億の税金が投じられたことや、宮廷費で質素にすべきだと主張された秋篠宮の考えなども考慮にいれるべきだという意見は最もだ。

大嘗祭」という秘儀中の秘儀というべき儀礼について、これはなかなかわかりやしくて面白かった。 

 

 

 

 

 

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