まいまい

『宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧』 柳田 由紀子著

 「面白かった」「面白くなかった」と、いつも単純にどちらかに帰結する自分の読後感を恥ずかしいとは思うが、やはりまずはそこに至る。そして、この本は実に面白かった。

筆者は『ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ』の日本語翻訳者である。翻訳を通じてジョブズの禅の師である乙川弘文という禅僧に興味をもち、その全貌を知らんと7年にわたって多くの関係者にインタビューをして回った。これはその聞き書きそのものである。

 まず乙川弘文という人の概略に触れると、彼は新潟の大きな禅寺(曹洞宗)に誕生、京大大学院で真摯に哲学を学び、その後永平寺で修行。永平寺では特別僧堂生に抜擢されたが、29歳で渡米、アメリカでの禅布教に努める。そこでジョブズを初めとして多くの人と関わりを持ち、二度の結婚や同棲もする。64歳、ヨーロッパ布教のため家族と富豪の山荘に滞在中、池で溺れた幼い娘を助けんとして自らも溺れて亡くなる。

 さて、多くの弟子や仲間あるいは先達あるいは家族によって語られたこの弘文師の姿はあまりにも極端から極端であった。

 「あの人は実に図太いのです。・・・出世欲もなければ世俗性もなくて、・・・よくいえば自然体、ともすればノーテンキ。正真正銘の風来坊」

 「弘文は精神的な賢者であるかたわら、未熟な少年でした。・・・お酒にもだらしがなかったし、お金にもルーズでした。」

 「弘文先生にはこだわり自体がないんです。それに、他人を評価せず、その人のあるがままを受け入れていたし、相手によって話を変えることもまったくなかった。」

 「大好きだったな、弘文のこと。物静かな中にもカリスマ性のある本物の僧侶でしたよ。」

  「弘文ほど親切な人はこの世にいませんよ。たとえば弘文は、物乞いされると財布ごと渡してしまうといったふうでした。」

 「父(弘文)とは悪い思い出ばかりでしたから・・・できることなら父とも呼びたくないくらいです。・・・あれほど多くの弟子から慕われた人は、私の人生の痛みでしかなかった。」

右と左のように語る人によって大きく異なる弘文像、一体彼は何者なのか。筆者の深い迷いに対して、弘文師と永平寺時代を共に過ごした寶慶寺住職田中真海師は

 「あぁ・・・・あぁ ともに地獄に堕ちたんだね・・・弘文さんは、女性たちとともに自ら願って地獄に堕ちたんだ・・・。」

そう言って、この世を救うのは「聖と愚」があり、まさに弘文は後者を生きた「泥中の蓮」であったのではないかと教え諭すのだった。

 弘文師の死を知った時、ジョブズは肩を震わせて泣いたというし、その没後十年の法要にすら百名以上の参列者があったという。Tに言わせれば一人の人間を救うということすら並大抵にできることではないという。多くの人の救いになったというなら、やはり弘文という人は並の人ではなかったということになる。筆者もまた「とてつもないスケールのお坊さんである」と書いて、筆を置いている。

尚この本は今年の日本エッセイト・クラブ賞を受けている。

 

 

 

 

        まいまいや爪すぐ伸びる怠け者

 

    

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カラスウリの花