桜餅

『いのちの旅』  原田 正純著

 筆者は神経精神医学の医師で半世紀近く水俣病の患者に寄り添ってきた方である。この本は新聞に掲載された小編を集めたもので全体として非常に読みやすい。初めは水俣病の話から始まるが、あとは国内から国外まであらゆる汚染現場に出かけての報告である。そして、そこでの筆者の一貫した立ち位置は常に弱いものの側に立つことである。

 共通して見られるのは被害が深刻化するまでなんら救いの手もなく不安に苦しむ庶民の姿であり、被害を認めようとしない企業なり政府・またそれに加担する学者の存在だ。

 水俣病の治療・研究の第一人者であると思われた熊本大学では、原田さんは異端扱いを受けて自分の大学なのに水俣病の講義すら出来なかった。また水俣病研究のための膨大な研究費を受けとった研究者の多くが裁判では国側の証人になった。

 償おうとしてもとても償えるものでない。被害者がわずかに癒やされるのはその責任の所在が明らかになり、事件が将来に教訓として活かされる時である。

 まえがきで原田さんは「水俣学」の始まりを提唱された。未だ明らかになっていない被害の全体像の研究を進めること、被害者の苦しみを先々の人の暮らしに役立てること。

 解説によれば原田さんの遺志は引き継がれているようである。

 

 

 

 

          売り切れてをり門前の桜餅

 

 

 

 

三月

どんどん暖かくなって草取りやら花の植え替えが気になる。花粉で目もしょぼしょぼ鼻もぐずぐずさせながらアッツザクラとサギソウの植え替えをする。この二年ばかり体調が悪くて放りっぱなしにしていたのですっかり数を減らしてしまった。どちらもまた出直しである。プランターをひっくり返したら蜥蜴が二匹出てきた。まだ冬眠中だったらしく死んだように動かない。悪いことをしたとまた土を掛けておいたけれど大丈夫かしらん。

 今年はもう少ししたら植え替えたいものがいっぱいある。H殿はもう少し整理をしようというので考えなくては。地植えのものはいいが歳をとると鉢の水やりも冬の防寒対策もしんどいのはまちがいない。

 赤い椿も咲き出した。

 

 

 

 

           三月といへば心もはづむごと

 

 

 

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春の雨

『死を生きた人びと』  小堀 鴎一郎

 筆者は鴎外の孫である。母杏奴さんの著書では快活なユーモアのある青年として出てくる。テレビを見た感想からいえば80歳とはいえユーモアがあり、フットワークも軽く若い日の面影を彷彿とさせる。

 さてこの本は定年後に在宅診療医として活動されている著者の活動報告とも言える一冊である。そして、看取られた多くの患者の死に方の一部(42例)を紹介しながら、読者にさてあなたはどういう形で自分の死を迎えますかと、問いかける一冊でもある。

 かって、戦後間もない頃は自宅で死ぬことが死の全体の八割を占めていたらしいが、逆に2010年では病院で死ぬことが八割となったらしい。病院で死ぬか自宅で死ぬか。

 例えば私の親の場合二人は病院での死であった。母親は事故の治療中のことでもあり病院死は仕方がないところもあったが父はどうだったか。家に帰りたがった父を仕事を優先した私は無理に病院に入れた面がある。今のように包括的な支援体制があれば最期の最後ぐらいはひょっとしたら在宅で面倒をみられたかもしれない。そんなことも考えさせられる。

 死にゆく人のかなり多くは住み慣れた家で死にたいと思うらしいが、果たして在宅死は理想的な死なのか。筆者はその点も問題にする。どの家族にもそれなりの事情があり望ましい形はひとつではない、よく話し合って納得し合って選択することが大事だとするのだ。実際自分の場合は在宅死は無理のように思うし強いてそうありたいとも今は思はない。

 欧米に比べて日本では患者個人での意思決定がなおざりにされてきたらしいが、病院に担ぎ込まれても無意味な延命治療を断り自然に死にたいという気持ちを明示しておけば病院死もまた是ではないかと私は思う。

 あと小堀さんは標準的医療をうけられない貧しさの存在や介護報酬の低さ、また「生かす医療」に偏り「死なせる医療」が忘れがちなこの国の現実にも触れておられるが全く首肯することばかりである。最期まで患者に寄り添って患者の最高の終着点をかなえたいと言う小堀医師はまさに「医は仁術なり」という成語そのものだと思う。

 何処かのお寺の掲示板に「お前も死ぬぞ」とあったが、言われるまでもなく避けることの出来ない事実である。おいおい考えていかねばならないこととして興味深く読んだ一冊であった。

 

 

 

 

 

    雨の日は音たてて春すすみけり    倉田 紘文

 

 

 

 

死を生きた人びと

死を生きた人びと

 

うららか

 このところいっぺんに二月とは思えぬ暖かさになって有り難い一方で困ったこともある。畑の野菜などは急に花咲モードに入り白菜もキャベツも今にもパンクしそう、ブロッコリーも花が開いてしまいそうだ。せっかく出来たからと昨日は隣やら本家やらに2つ3つと押し売りをして2つばかりは冷凍にもしてみた。いつもなら馬鈴薯の植え付けを三月になってからするH殿も今年は早々と昨日行った。

 

 一昨日のNHKスペシャル「大往生」は在宅医療で死を看取る小堀医師の話であった。以前にBSで放映したようで再放送らしい。「こんな暗いのを見るの?」と言っていた夫も引き込まれて共に目を潤ませてみた。よくカメラが入れたと思うほど人が死に近づく一瞬一瞬を捉えた厳粛な映像であった。

 小堀医師は鴎外のお孫さんである。杏奴さんの著書にもたびたび出てきたのであの青年がと、懐かしい。著書の『死を生きた人びと』が新聞の「人」欄や書評で取り上げられていた時から読みたいと思っていた。県の図書館にはあるのだが順番がなかなか廻ってこないので注文する。昨日頼んで今日とはありがたい。

 

 

 

 

 

       うららかや出かけた人がまた出かけ

 

                  忘れ物をしたのかこちらが寝ぼけていたのか

 

 

 

 

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 大きくなりすぎたブロッコリーです。

初雲雀

 このところの暖かさで春が一挙に進んでいる。昨日は初めて雲雀の鳴き声を聞き、今日は初めて紋黄蝶を見た。閉じこもってばかりではとウオーキングも続けているが今日は庭の草引きもした。難解な本よりこの方が合っているかもと思いつつ、前回の続きを。

 

『陰謀の日本中世史』 その2

 筆者は「鎌倉幕府の歴史は陰謀の連続だった」と言う。頼朝と関東の有力な御家人で成立した鎌倉幕府だが本元の源氏将軍家はわずか三代で滅びる。頼朝をのぞいていずれも謀殺やら暗殺である。有力御家人も梶原・比企・畠山・三浦・安達など八氏が謀反の疑いで誅伐されている。追い落とすための陰謀か陰謀の罠にはめられたのか、どちらが加害者でどちらが被害者なのか、学者の間でも諸説があるようで鈍い頭ではちっともわからない。唯一はっきりしているのは北条氏がうまく立ち回って約150年は権力を維持したということぐらいだ。

 次の室町幕府ももっとわからない。しかし、今週の水曜日だったかNHKテレビの「歴史ヒストリア」を見て少しは氷解した。「観応の擾乱」も「応仁の乱」もこの本の筆者の解説でわかりやすく説明されていた。つまり「応仁の乱」は『応仁記』によるような将軍家の跡目争いでも日野富子の陰謀でもない。畠山氏の家督争いに山名宗全が同調してクーデターを起こしたのが発端で、日野富子の悪女伝説も『応仁記』の全くの創作だということだ。

 いずれにしてもこの時代の200年ちかくは争いばかりで、カオスの中から傑出した者が次の時代の戦国大名になっていったのだろう。

 ところで、陰謀の渦巻く権力闘争の中で私達のご先祖様の庶民はどう生きたのか。中世の庶民史に詳しかった網野さんの本をもう一度読みたくなった。

 

 

 

 

          鳴き声は雲の中より初雲雀

 

 

 

 

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

 

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真っ青な今日の空。低いところに長い雲が伸びてました。飛行機雲とも違うような。

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春の川

 旧友に習ってウオーキングを始める。もっともまだ体慣らしの程度で大股速歩で15分程度である。始めた昨日は春めいた一日で歩くのには好都合だったが、今日は冷たい風が強い。花粉も飛散してるだろうなと躊躇してしまう。いきなり中止も情けないとマスクに防寒で出かける。帰ったらカレンダーに◯をつけまずまずである。

 

『陰謀の日本中世史』  呉座 勇一著

 少し前『応仁の乱』で名を売った気鋭の歴史学者による話題の本である。巷に流布する陰謀論というか俗説を学者の視点から一蹴するという内容である。陰謀を解き明かすというものであるから時代時代の人間関係が複雑すぎて読みづらい。正直なところ食指のが動く戦国から読み始めて平安末・鎌倉と進み、まだ室町が読めてない。

 ここまでで私なりにわかったことは

 まず光秀の挙兵・本能寺の変は全くかれの「突発的単独犯行」つまり場当たり的思いつきであったということ。来年の大河ドラマは彼が主人になるらしいがどう描かれるか見ものである。

 ふたつ目にわかったことは頼朝と義経の確執から義経追討に至る一連の出来事である。筆者は「腰越状」や「後白河天皇の陰謀説」も否定する。兄に不満を持つ義経が叔父行家の謀反に同調したのが発端だという。頼朝追討の宣旨を執拗に要求したのも義経側であり、後白河は「保身のため便宜的に発給した」というのが本当らしい。結局義経の挙兵は水疱にきし悲劇の結末をたどるのだが、その悲劇性が様々な俗説を生んだのは間違いないようだ。

 みっつ目というほどではないが「鹿が谷の陰謀」は実際はなかったらしい。これはそれこそ清盛の陰謀だとしている。ならば俊寛は罪なくして流されたと言うべきか。

 それから源実朝が甥の公暁に暗殺された事件だが、公暁をそそのかした首謀者はわからないそうだ。とにかくこのあたりは権力関係が複雑すぎる。

 さて、いずれの時代にも権力を手中に収めるためには、親であり兄弟である血の繋がりにすら情け容赦ない。全く人間というのは愚かなものだ。

 

 

 

 

       枯れしもの流してはやき春の川

 

 

 

 

陰謀の日本中世史 (角川新書)

陰謀の日本中世史 (角川新書)

 

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            我が家もやっと椿が咲き始めました。

春耕

 十年ぶりぐらいに旧友と会う。彼女は昔の職場の同僚で私より九歳ほど若いのだが気立てのいい人でよく気が合った。最近はご無沙汰していたのだが年賀状でこちらの罹病を知って連絡をくれた。久しぶりに随分おしゃべりをして私としては二つの教訓を得た。一つはもっと歩かなければいけないということ。何でも彼女は毎日一時間ほど歩いているらしい。真夏以外はもう一年以上も続けているというから感心だ。もう一つはものの整理。勤めていた頃のスーツなどはみんな捨てたというのである。整理整理と言いながらなかなか実行出来ない身には羨ましい潔さだ。

 

 ところで我がブログについてだが「何だか難しそうな本の話ばっかりで読めなかった」と言われてしまった。難しい本はないのだがまったくひとりよがりであることは事実。いつもこんなブログを読んでくださる方には感謝しきれないほどありがたい。改めてありがとうございます。

 

 そこで今日は本ではなく料理についての耳寄りな話を。もっともこれは『暮しの手帖』2・3月号の受け売りである。

 この本に肉の「塩糖水漬け」が紹介されている。肉を塩糖水に三時間から一晩漬け込んで置くだけで旨味ややわらかさがぐーんとアップするというのである。早速あのパサつく鶏の胸肉でやってみた。とても胸肉とは思えぬ美味しさでこれはおすすめである。

 塩糖水の作り方は

  水100cc

  塩小さじ1弱

  砂糖大さじ2分の1  をビニール袋に入れて肉(250グラムぐらい)をマリネするだけ。時間は三時間以上一晩くらい。もっと後に調理するときはマリネから出して冷蔵庫で3日間は保存できるそうだ。本には鶏肉・豚肉などマリネをした肉の料理も紹介されている。

 ところで、もうひとつ耳寄りな話があるが疲れたので今日はおしまいにします。

 

 

 

          春耕やつかず離れず鵙一羽

 

 

暮しの手帖 4世紀98号

暮しの手帖 4世紀98号